つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

刑法でも仲間を守る行為は認められている

 安倍首相が現行憲法の解釈変更によって集団的自衛権を認めていく方針を打ち出しました。連立与党である公明党やその支持母体の創価学会集団的自衛権に否定的な認識を示しているので、これが国会ですんなり承認されるまでまだ紆余曲折があると思いますが、まずは大きな前進であり、安倍首相の英断に敬意を表したいと思います。
 怖いものは見なければ怖くないので、なるべく見ようとせず、そして、世の中はいつも平和だ、平和だと思っている人がいます。しかし、こちらがいかに平和の心、無抵抗の意思を示していても、国際社会の現実は厳しいもの。こちらが善意を示し、無抵抗であればあるほど、かさにかかって侵略性を帯び、こちらの領土を侵そうとする国があるのです。
 このブログでも再三触れているように、フィリピンは今のアキノ大統領の母親のコラソン・アキノ大統領の時代、1990年代初め、「もう冷戦は終わったのだから、米軍は要らない」とばかり、フィリピンから米軍を追い出してしまいました。コラソンさんは、失礼ながら、安全保障の意味、軍事的なバランスの必要性など理解できていなかったのでしょう。
 当時、フィリピン自体は独自の軍隊など少しも持たない国でしたから、中国はこの軍事的空白を突いて、南シナ海のフィリピン領であるミスチーフ岩礁をあっという間に領土化してしまったのです。それだけでなく、スカボロー岩礁も奪いに来ています。その反省から、息子の大統領は今、領土を守るため、米軍との協力関係を大事にしています。
 今、中国は我が国の領土である尖閣諸島をも奪いに来ています。となれば、日本は国土防衛のため米軍の力を借りなければなりません。そのためには、こちらも米国側に応分の協力が必要です。したがって、米軍を狙ったミサイルを同盟国の日本が撃ち落とすことができるなどというのは至極当然のこと。我が国の刑法でも仲間を守るために介入した行為は正当防衛として認められています。これと同じ次元である集団的自衛権の行使は、議論の余地はないものと小生は考えています。
 しかし、多くの弱小政党や左翼系のマスコミは、鬼の首でも取るように安倍首相の方針に反対しています。集団的自衛権を認めると、米軍に追随して地球上のあらゆる紛争に巻き込まれ、自衛隊を送らざるをえないというようなデマ宣伝をしています。天皇が軍の統帥権を持っていた戦前でもあるまいに、自衛隊や首相が勝手にそんなこと決められるものですか。
 我が国は主権在民の制度。もし、政権が国民の意思に反することをするなら、政権を交代させることができるのです。そんな制度を持っていることを知りながら、首相や自衛隊が勝手に地球の裏側まで行くようなことを言うのは、いわゆる何らかの目的を持ってする悪意ある発言と言わざるをえません。
 泥棒が隣家に入ろうとしているときに、それを目撃しても我が家には関係ないからと言って黙過できるものでしょうか。女性がへんな男に絡まれているときに周囲にいる人は助けることはできないのでしょうか。このような時に互いに助け合うことが、すなわち集団的自衛権でしょう。そんな簡単な理屈を理解しようとしない政党やマスコミはいずれ衰退するだけです。


 先週末から今週初めにかけて秋田県北部を駆け足旅行してきました。上の写真は、田沢湖奥の乳頭温泉郷近くにある湿原の水芭蕉。もう花は盛りを過ぎていましたが、近くに残雪もあり、なんとなく尾瀬を感じさせました。