つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ノー天気な「非核平和論」は止めにしよう

 国連で122カ国が署名した核兵器の全面禁止条約に日本が賛成しなかったことに、日本国内で反発する声があります。原子爆弾の洗礼を受けた国の民としては自然な感情かも知れません。だが、一方で国際政治を見ると、今、中国や北朝鮮核兵器の脅しに遭い、それを防ぐために米国の「核の傘」の下に入っているという現実があります。それでは仕方がないのかなと小生は思っています。
 国際政治は相手があっての話。こちらがいかに平和を望んでも、世の中には邪悪な国、勢力がいて虎視眈々と我が国の領土を占拠したり、国全体をコントロールしようと武力挑発を仕掛けてきます。実際、中国の将軍の中には露骨に「日本に核攻撃を仕掛けたら、…」などと核兵器の所持、不所持の違いによる軍事優位性の視点から発言する人もいます。
 こんな状況に目をつぶってもいいのか。誰かが攻めきたら言うなりになるという覚悟を決めているのか。それなら、あらゆる武器は要らないし、安全保障も要りません。でも、それでは小泉首相がかつて言っていたように「奴隷の平和」でしかありません。国家の主権、独立は保てません。まして、一党独裁の国家の支配下に入ったら、我が国の自由と民主主義の制度は危うい状態に置かれてしまいます。
 イラク、シリアでIS(イスラミック・ステート、これは暴力団に近い)に支配された地域の住民がいかに辛酸をなめたか、よくよく見る必要があります。老いた男女は殺され、子供は次の時代のIS兵士になるための洗脳教育を施され、若者は徴兵されるか、奴隷として使われ、若い女性は兵士の慰み者、性奴隷になっていったのです。こんな状況を認めていいのですか。
 核兵器という大量破壊兵器は最大の脅しとして使えます。これを持つ国、持たざる国で発言力が違い、対等な話し合いなど無理。核兵器などできたらなくなればいいと思うけど、侵略意図のある邪悪な国、勢力(ISだって北朝鮮から核兵器を入れる可能性がある)がそれを持ち続けるなら、こちらも対抗上持つ形を取らざるを得ないのです。
 憲法上の制約があるので、核兵器は言うに及ばず、他国に撃ち込めるようなミサイルさえ持ちえない我が国としては、核抑止力を米軍に頼るしかありません。ですから、正論や理想論を振りかざして反対とは言いにくいのではないですか。残念ながら、非常に残念ながら核兵器禁止条約には賛成できないという政府判断は分かります。
 このブログで何度も繰り返していますが、理想論は聞くと耳障りがよく、なんとなく喜びを感じてしまうけど、現実の世界は残酷で厳しい状況にあるのです。国際政治で理想論を振りかざすことがいかに危険なことか、ISに支配されていたモスルの住民の反応を見れば、一眼で分かることです。もうノー天気な「非武装論」「非核平和論」は止めにしましょう。
 
 上の写真は、アメリカ帰りの友人が東京・墨田区に開いたコーヒーショップ。