つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

元号も3つ目では時代の変遷分からない

 なんだか、次の天皇陛下での元号があさって発表されるとのことで、世間は「元号元号」とかまびすしい。世間はそれほど日常生活に元号を使っているのか、非常に関心があるのか。小生に限って言えば、日常的にまったく元号は使っていませんし、平成何年などと言われるとまったく分かりません。元号では時代認識ができません。ですから、結論的に言えば、ほとんど関心がありません。

 昨年末あたりから、「このイベントは平成最後」などという表現がよくテレビで使われるようになりました。単なる表現、言葉の”彩”なのでしょうが、小生からすれば、「これって何の意味があるの、平成最後だからどうなの」と感じていました。実を言えば、世論調査を見る限り、元号より西暦で年を認識している人の方が圧倒的に多いのです。実質的に利用度はそれほどないのです。

 昭和生まれで、これまでの人生の半分以上を昭和で過ごしてきた小生のような人間には、昭和の時代はまだ親しみがありました。少なくとも昭和の年数を見るだけで時の変遷は理解できましたから。それが、1989年に平成になり、新元号とのつながりで、時の経過を認識することが困難になりました。この結果、小生は平成開始から元号を使うことはなく、ずっと西暦で年の変化を感じていました。

 考えてみれば、西暦はキリストの生誕を起源としているので、非常に宗教がかっています。このためか、暦は各国まちまちでイスラム諸国はイスラム暦を使い、台湾には、辛亥革命翌年の孫文総統就任(1912年)を起源とする中華民国暦というのがあります。当然と言えば当然のこと。日本にも元号のほか、神武天皇即位からの皇紀という暦があって、戦前は結構利用していたようです。皇紀では今年2679年であるそうな。戦前に「皇紀2600年(1940年)」という歌もありました。

 小生は天皇制度の否定論者でもないし、時代の変遷が分かれば皇紀でもいいと思いますが、世界標準で言えば西暦が使われているので、やはり西暦が便利だし、一番合理的だと思います。小生に限れば、生年から3つ目の元号となれば、今後ますます時代変遷の認識が困難になるので、新元号などは全くと言っていいほど使わないでしょう。ですから、新元号にどんな漢字が使われるかなどほとんど関心がありません。

 その元号を他社より早く報道しようと、マスコミ各社は取材合戦を過熱させています。小生に言わせれば、世間の元号への関心が薄れているうえに、あと数時間したら発表されるようなことに、精力を費やして先んじて報じ特ダネを取ろうとするのは金と時間の無駄。真の特ダネとは、世間に隠れている悪や不正を暴くこと、埋もれた善意、善行を世に知らしめることだと思います。

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上の写真は、横浜相鉄線上星川駅前にある天然温泉「満天の湯」。