つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「もの言えば、唇寒し」か、マスゴミもやり過ぎだ

 「もの言えば唇寒し 秋の風」という言葉があるけど、昨今の大臣は本当にうかつにものが言えない時代になりました。河野太郎防衛相と 萩生田文部科学大臣が”舌禍事件”を起こしたと言われていることです。聞いてみるとたわいもない話で、小生の認識からすると、なんでこれが問題になるのかと不思議でなりません。こんなことで大騒ぎしているとは、世の中、ある意味、平和なのかも知れません。

 河野太郎防衛相は、自身の政治資金パーティーで「私はよく地元で雨男と言われました。 私が防衛大臣になってからすでに台風が三つ」と言ったことが問題になりました。テレビ朝日報道ステーションでは、鬼の首でも取ったように「速報」で報じたというのですから、あきれてものが言えません。かの番組が言うように、被害を受けた人の感情をひどく傷つけるほどの言葉だったのでしょうか。

 本来、河野の大臣就任と天候とは何の関係もなく、台風、豪雨は彼が呼んだわけではない。でも災害となれば、河野が主管する自衛隊が出動するわけですから、それはそれで「私の就任のあと、再三自衛隊に大変な苦労をさせた」という点を強調したかったのでしょう。「雨男」がいけないのなら、「私は晴れ男ですが、残念ながら私が防衛大臣になって…」と言えば、問題なかったのか。「雨男」の言葉自体にトゲのある意味はないのですから、そう神経を尖らせることはないと思います。

  萩生田文部科学大臣は、大学入学共通テストに導入される英語の民間試験に関して「 身の丈に合わせて(受験生が)頑張ってもらえれば」などと発言したことが問題視されました。小生はこのニュースを聞いて「えー」と思いました。受験生それぞれは学力も違うし、志望校も違う、それぞれの程度に合わせて努力してほしいという萩生田の発言のどこがいけないのかと。メディアはいったい、何を問題視したのか。「身の丈」という言葉の選択がダメだったのか。身の丈とは能力、学力という意味で使ったのでしょう。それなら問題ないのではないか。

 では、「それぞれの学力に合わせて」とか「受験生それぞれの状況に合わせて」とか言えば、良かったのか。いずれにしても、これも鬼の首を取るように攻撃する材料にはならないと思いますが、野党は「辞任ものだ」と迫っています。頭がおかしいんじゃないのか。でも、 萩生田は、「発言を撤回する。私の不徳の致すところだと反省をしている」と陳謝しました。文句を言ったやつがいたら、とりあえず謝っておくというのは日本の常道ですが、それにしても安易すぎます。

 河野、萩生田両大臣の発言は、「災害の発生が(東北地方であって)東京でなくて良かった」とか「災害復旧より…さんの当選が大事」などと言った、かつての大臣の舌禍の質とはまったく違います。なんでも問題にしてしまうマスコミ(いやマスゴミか)の悪い習慣です。これでは、以後、大臣は各省秘書官が書いたような、面白くもおかしくもない杓子定規の文章しか読めないようになり、政治家としての魅力、個性はますます出なくなってしまうでしょう。

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 上の写真は、愛犬マオの6カ月法要でのスナップ。荼毘をしてくれた寺院が年2回、ペット法要式を開くので、参列しました。