つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

当たり前の日常生活の中に幸せがある

 先日、テレビのスポーツ番組を見ていた時のこと。今、あらゆるスポーツのイベントが行われていないため、ネタに困っているようで、楽天ゴールデンイーグルスが仙台の球場で久しぶりに屋外練習している風景を映していました。楽天ファンとしては、それはそれで良かったと思うと同時に、インタビューに応じた浅村栄斗選手が「青空の下、広いスタジアムで練習できたことが嬉しかった」と語っていたのが印象に残りました。

 彼は、今まで当たり前のようにできたこと、当然の行動、光景に喜びを感じたというのです。非常に価値ある言葉ですね。実は、日常的なこと、ルーティンの行動がずっとできること、その中にこそ幸せがあるのだということを再確認させてくれました。友人と連れ立って居酒屋で酒を飲むなんて、ごくごく日常的なことで、これまで別段幸せに感じたことなどなかったけど、ここ2カ月ほど、できなくなってみると、やはり素晴らしいことなんだと今さらながら感じます。

 ここで、改めてここ2カ月ほどの自粛要請問題に話題を換えます。日曜日朝の爆笑問題司会の討論番組にホリエモン堀江貴文氏が登場し、「自粛は必要ないんじゃないか。ウイルスは今後ずっとなくならないのだから、共生するしかない」と語っていました。これは、小生が前回のブログで書いた社会ダーウィン主義の考え方です。ホリエモンはもともと経済人ですから、疫学的な観点でなく、多分に経済的な視点からの発言かと思いますが、驚くことに、デーブ・スペクターら少なからずホリエモン説に同意を示すコメンテーターも出てきたのです。

 確かに、ウイルスはずっとなくならないし、感染のリスクがある以上自粛が必要、経済活動は止めるべしというのでは、われわれの社会生活は成り立ちませんね。では、だからと言って、一貫して自粛なしでいたとしたら、それは正しい選択か。小生はそうは思いません。というのは、感染者が増えれば、病院がいっぱいになって医療崩壊を起こします。感染してもみんな医者に行かないで、自宅で独力で治すというのであれば、自粛など必要なかったけど、市販の特効薬もなく、医者に頼るのであれば、医療崩壊状態は避けなければならないでしょう。

 「自粛は必要なかった」というホリエモンの言は、彼が幸いにも患者にならなかったが故のセリフであり、もし、彼が感染していたら今度は「病院に患者がいっぱいで、俺のベッドがない。世間全体が自粛していれば、こんな急激な患者増はなかったのに」と嘆いたに違いありません。なんでも、自分中心の見解はよろしくないと思います。

 それでも、小生は幾分ホリエモンの肩を持ちたいところもあります。あまりにも長い公的機関による自粛要請(と言っても事実上の強制)はうんざりです。経済活動ばかりでなく、すべてのことをアンダーマインします。精神に異常を来し、自殺者が増える恐れもあります。ですから、東京都の一日感染者がこのところ50人以下であり、医療崩壊も起きない状態と判断できるなら、そろそろ自粛は解除してもいいのではないでしょうか。

 日本人はもともと衛生観念が進んでおり、多分、自粛解除しても即マスクを外すような人はいないでしょう。解除宣言によって、感染者が爆発的に反転増加するとはだれも思いません。であれば、多くの人が普通の幸せを感じる日常生活に戻しましょうよ。コンサートもスポーツイベントもやってほしい、図書館、美術館、博物館なども開いてほしい。居酒屋で酒を酌み交わせる日々を戻してほしい。

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 上の写真は、日没間近の横浜・みなとみらい地区。普段なら、この芝生は多くのカップルが占拠するが、ここでは一組だけと寂しい。