つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

琴の若と琴勝峰の一番、見せてくれ

 イヤー、大相撲ファンの小生にとって、七月本場所が始まる7月19日は待ちに待った日でした。4か月ぶりの大相撲。あまりにもわくわくし過ぎて、普段の日曜日に見る囲碁番組を止めて、BS放送で午後1時から始まる幕下の取り組みから見てしまいました。というのは、贔屓にしている宇良が幕下19枚目にいて、この日に取り組みがあることが分かっていたこともありました。

 相手は鳴戸部屋の欧勝龍(近畿大出身の元林)という強敵だったので、どういう相撲を取るか興味津々。ですが、その一番は宇良が欧勝龍の下に潜り込み、そのあと突き起こしてすぐに押し出すあっけなさ。圧倒的な相撲でした。さすが元幕内上位の実力、怪我で下に落ちているだけで本来はこんなところで相撲を取る力士でないというところを見せつけました。で、彼の取り組みはだいたい午後1時45分ごろ、それから延々と相撲を見続け、とうとう6時近くの白鵬戦までテレビにかじりついていました。

 書かなければならない原稿があるのに、大層な”ヒマ人”状態でした。それはともかく、相撲を見ていて、中入り後になって奇妙なことに気付きました。最初の5番に登場する力士の片方がいずれも「琴」という字が入っている。そう琴勇輝、琴恵光、琴奨菊、琴の若、琴勝峰の5人はいずれも佐渡ケ嶽部屋所属で、5人ともたまたま番付の下位にいるので、取り組みがこういう順番になってしまったのです。

 で、次の日、つまり今日も中入り後にやはりこの5人が並んで登場してきました。こうも同部屋5人が並んで登場してくるのは実に奇妙な感じ。しかも、今の大相撲のルールでは、同部屋力士同士は当たらないことになっており、彼らは絶対に対戦することはないのです。前にも書いたことがあるけど、こういうルールって本来おかしいと思うけど、相撲協会は一向に改革する意思はないようで、残念です。

 例えば、将棋、囲碁の世界をみてください。今話題の将棋の藤井聡太棋聖は、兄弟弟子どころか、恩義を受けた師匠とも対戦しました。つい先日も竜王戦の決勝進出トーナメントで、師匠の杉本昌隆八段と対戦し、負かしています。昔は、大山康晴15世名人と弟子の有吉道夫九段が順位戦のA級などで死闘を繰り広げていました。中原誠16世名人、田中寅彦島朗の各九段はいずれも高名な高柳敏夫門下ですが、彼らもなんの隔てもなく兄弟弟子同士で戦っています。

 囲碁でも、木谷実門下には大竹英雄加藤正夫石田芳夫武宮正樹小林光一趙治勲などの飛び抜けた俊英がいて、タイトル戦では激しいつばぜり合いを展開してきました。彼らは、若かりしころ寝食を共にしたのでしょうが、対戦が回避されるというルールはありません。その道で一流になった以上、どんな人とも対戦するというのが本来あるべき姿でしょう。相撲界でどうして同部屋力士同士の対戦がないのか、いまだに分かりません。正直なところ、これはスポーツ、競技の世界で一番してはいけない、公平の原則を大きく逸脱していると感じます。

 昔、千代の富士と保志(北勝海)、貴乃花若乃花という横綱同士の対戦がありませんでした。若貴は実の兄弟だからまだ許せるとしても、千代と保志の対戦はずっとあっても良かった。これらの同部屋力士も優勝決定戦となると、しっかりと対戦するのですから。それなら、普段から本割の取り組みも作れと言いたくなります。少なくとも十両以上の地位にいる力士なら、個人別対戦にしてほしい。今、多くの相撲ファンにとって一番見たい取り組みは、若手注目株の琴の若と琴勝峰の一番です。相撲協会さん、ぜひご検討ください。

f:id:higurashi-takanori:20200721000623j:plain

 上の写真は、野毛山公園で咲いていたアガパンサス