つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

コロナ自粛で辛い中での「至福な時間」

 大学で授業を持っていたころ、千葉県の市川から横浜の桜木町まで電車に乗って帰ってきて、自宅に戻る前、駅前の「王将」に寄り、ギョーザ2皿に生ビールを頼んで、のどを潤す時が至福の時間だと感じていました。今は授業もなく、桜木町駅前の「王将」もなくなり、残念ながらこの至福の時間が持てない。しかも新型コロナウイルスの影響もあって友人たちと外で飲む機会もとんとなくなってしまいました。ただ、そうであっても、それなりに「幸せな時」を見いださなければ、人生は限りなくつまらなくなってしまいます。

 そこで「幸せを感じる時」つまりそこそこ満足感がある時はいつかと考えました。ものを書くことが好きなので、アルバイトの中国関係の原稿でも、あるいは趣味の時代小説でも、書いている時は幸せ、まして納得して書き終わったなーと思った時はさらに満足感があります。それから、夜一定時間で執筆を終え、コップに日本酒を注ぎ、ちびりちびりやりながら、ユーチューブの音楽を聴く時も幸せを感じる一瞬かも知れません。その音楽、演歌、民謡、もちろん何でも良いのですが、最近、聴くことが多いのはオペラのアリアでしょうか。

 スリーテノールが好きです。特に亡くなってしまったパバロッティは3人の中で一番男性的で、小生好みの声でした。彼が得意にしているアリアはプッチーニトゥーランドット」の中の「誰も寝てはならぬ」なのでしょうが、小生は彼のレパートリーの中ではイタリア民謡の「帰れソレントよ」が一番好きです。恋愛劇オペラ「トスカ」の「星は輝きぬ」を歌わせるのでしたら、ドミンゴがいいと思います。声に色気というか、艶があるから。でも残念ながら、彼は並みいるテノール歌手の中で自分が一番うまいとうぬぼれているところが垣間見られ、ちょっと鼻につく感じがします。

 その点、カレーラスは一番声量がないんですが、白血病と闘った彼の人生を彷彿させるように一生懸命歌っている感じがして好感持てます。病気と言えば、ロシア人の名バリトン歌手、ディミトリ・ホロストフスキーは3年前に脳腫瘍によって55歳で逝去したのは残念でした。銀髪の容姿もカッコ良かったし、歌声も良かった。今でも、同じロシア人ソプラノ歌手、アンナ・ネトレプコとデュエットしている映像がユーチューブで見られますが、もうこの世にいないのかと思うと泣けてきます。

 メキシコ人のテノール歌手、ローランド・ヴィラゾンも若い割にはうまいと思います。オペラのほかに、良く視聴するのがオランダ人音楽家アンドレ・リュウのコンサート。彼は、舞台でバイオリンを弾きながら指揮をし、司会までこなすすごい人。しかも、多言語をあやつるので驚いてしまう。オランダ人ですから、言葉が近いドイツ語、共通語の英語が堪能なのは分かるとして、フランス語やイタリア語、スペイン語も話し、コンサートでは必ず訪れたところの言葉を使っています。

 リュウのオーケストラで感心させられるのは、メンバーの女性がすべてきらびやかな暖色系のドレスを着ていること、しかも美人ぞろい。これは映像、ビジュアルを意識した演出で、今までのクラシック系の音楽会にはなかったことだと思います。リュウのコンサートの素晴らしさはそのほか、観客を巻き込む、舞台、観客席一体型の演出です。快いメロディーが流れてくると、観客は一緒に口ずさみ、また肩を組んでウェービングする。さらに、ペアになって踊り出す人も。

 そういう光景をカメラが熱心に追って、映像で見ている人も一体となって陶酔するような雰囲気を作り出すのです。心豊かになって、楽しくなって、一体感に感動して、やがて涙があふれてきます。音楽や踊りを介在して、人間ってこれほど”密”になれるのか、”密”ってこんなにも素晴らしいことかって本当に思います。

 こういう陶酔型演出は、新興宗教の集会によくあるパターンで、小生は当初、それかと疑いましたが、どうやらまっとうなコンサートのよう。リュウさん自身の容姿もカッコ良いのですが、コンサートの内容も観客、視聴者を飽きさせない、本当に素晴らしい企画、構成力をお持ちの方です。アルコールをたしなみながら、音楽を聴く夜のひと時こそ、小生にとって今、コロナ自粛の辛い中で感じられる一番の「至福の時間」なのだと思います。

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 上の写真は、横浜市中区の公園で見たひまわり畑。