つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

恒例イベントないまま8月が終わる寂しさ

 8月も明日が最後の日で、あさってからはもう秋です。まあ、秋といっても当面猛暑は続き、気候的には秋らしい感じはしないのでしょうが、でも、いわゆる旅行ができる楽しい”夏休み”時期の8月は終わってしまうのです。本来なら、各地から花火大会、夏祭りのイベント模様が伝えられてくるのに、今年はそれがない。新型コロナウイルスのせいで、本当に不十分、不完全な夏になってしまいました。夏の甲子園もなくなり、春のセンバツで選ばれた学校が1回戦だけ戦うという物足りなさ。高校野球も、正直あまり熱気を感じさせないものとなりました。

 それから、博多山笠に続いて、仙台七夕、秋田竿灯、青森ねぶたの東北三大祭り(いや、盛岡さんさ踊りを含めて四大祭りですか)や徳島の阿波踊り、高知よさこい祭りなど著名な祭りが軒並み中止されました。見ているだけで胸がときめく青森ねぶたの華麗な引き回しや、「ラッセラー、ラッセラー」と手拍子打って足を跳ね上げたくなるようなねぶた囃子は聞こえなてこないのは誠に残念。毎年当然あると思っているイベントがなくなるのはなんと寂しいことか。参加を希望していた人はもとより、観光に行きたかった人もがっかりでしょう。

 家の近くの神社、公園で行われるような盆踊りも、花火大会も開催されなくなりました。小生の家の近くでは、横浜みなとみらい地区の海岸や山下公園沖での花火大会は有名で、毎年ものすごい人出ですが、これらが中止され、本当にさみしい8月の桜木町となりました。何度も書きましたが、コロナによって、われわれがもっとも熱狂するべきこの時期の楽しみを奪われたのはあまりにも口惜しく、目に見えない敵とはいえ、恨んでも恨み切れません。

 祭りの話のついでに書けば、日本テレビで放映している「ケンミンショー」という番組は実に面白い。各地にはそれぞれの独特な祭りがありますが、地元の人がそのイベントを盛り上げるべく、毎年十分な準備をし、そして真面目にそれに取り組んでいる様子が伝わってくるからです。岸和田のだんじりとか、諏訪の御柱祭三河地方の円筒花火大会などは、毎年、けが人どころか死者も出ることもあり、男たちが命を張っているイベントです。

 小生は昔、祭りごときに命をかけてどうするかと思っていましたが、最近、ケンミンショーなどの番組を見て、改めて祭りにかける人間のエネルギーを理解できるようになりました。敢えて言います、祭りは人生そのものです。「人の一生は壮大な暇つぶしの期間」という観点に立てば、地元の祭りほど熱狂でき、感動できる暇つぶしのイベントはないでしょう。小生も子供のころ、神輿を担いだ経験がありますが、肩に重さを感じながら、仲間と調子を合わせて「ワッセー、ワッセー」と叫ぶのは実に爽快で、ある種の快感があったと今さらながら思い出します。

 その快感、感動を味わうために、ある人は祭りの道具を整えるため、持ち金のすべてを投げ出したり、その準備のために仕事以外の時間のすべてを費やしたり、夏に祭りが終わると、また次の日から翌年の祭りの準備を始めるといった話も聞かれます。それが生きがい、生きるエネルギーになっているのでしょうから、無駄ではない。無駄だと指摘されるなら、人間が生きていること自体無駄であるとなってしまいます。

 という観点で見ると、今年各地の祭りがなくなったのは、返す返すも残念。安倍首相によれば、コロナのワクチン、特効薬は来年までにはできるそうですから、できたら、速やかに中止になった夏のイベントのリターンマッチをしてほしいと思います。

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 上の写真は、カンボジアアンコールワットの宮殿に生き続ける巨大ガジュマル。鳥が種を運び、数百年かけてこれだけの巨木になったそうです。昨年3月に行った時のショット。