つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

永倉新八がテーマの時代小説(4)

「散切り頭の新八独り旅」その1

 

 池田屋で一蓮托生の闘いをし、強い仲間意識が残っているせいか、近藤は、藤堂平助御陵衛士に加わり分派行動を取ったとはいえ、ずっと身内のように考えていた。

 <高台寺党がわが身を亡き者にしようと画策しているのなら、是非もない。藤堂平助も敵になったのだ>

 近藤はそう割り切ろうとしても、思い切れないものがあった。

 そんな折、醒ヶ井木津屋橋下の休息所に行くと、女から「家に投げ文がありました」と告げられ、投げ込まれた文を手渡された。

 女は大坂の花街で知り合い、傍に置いた深雪太夫の妹孝子だ。絶世の美人と言われた深雪太夫は近藤と同居して間もなく病死したので、姉の元に同居していた妹を近藤はすぐに後添えの妾にした。もっとも、深雪太夫が病床にあった時から、近藤は孝子にも手を付けていた。

 文には「ぜひお会いしたい。これは試衛館の門弟としてのお話しです」の始まりで場所と時間が指定され、最後に「平助」と記されていた。その字に見覚えがあった。

 藤堂平助が近藤と差しで会いたいという内容だった。

 指定された場所は醒ヶ井からかなり離れた伏見撞木町の小さな妓楼「木津乃家」であった。伏見であれば、高台寺党新選組も近づく場所ではない。こんな場所を秘密の会談に設定したのは、平助の本心から出た行動なのだろうと近藤は思案した。

 近藤は取りあえず土方に藤堂と会う一件を伝え、一人でそこに赴くことにした。

 <これは罠ではあるまい。妓楼で我一人を取り囲み、刀争に及ぶとは考えられない>と判断したためだ。ただ、土方のことだから、周囲には変装した隊士数人を配置しているであろうとも思っていたが…。

 実際に、土方の命により、隊の服を着ない手練れの隊士数人が撞木町に向かった。

 約束の日夕刻、近藤が木津乃家に着いたのは、約束の時刻より多少遅れていた。

 木津乃家は色町撞木町の華やかさの中でも、門の明かり、装飾を抑えた比較的地味なたたずまいの店だったが、坪庭は見事なまでに手入れされていた。南天の花はもう蕾をつけていた。

 近藤は仲居に来意を告げると、二階の奥に通された。

 部屋には、確かに藤堂が一人で待っていた。隣の部屋との襖の陰から殺気は感じられない。陰謀はないようだと近藤は安心した。

 「先生、お久しぶりです。伏見までおいでいただき恐縮です」

 「やあ藤堂君。元気そうだな」

 いつもは「平助、平助」と言っていたが、すでに藤堂は分派の仲間、気安く呼ぶ気にはなれなかった。

 二人は酒を勧め合いながら当たり障りのない話をしていた。だが、四半刻もしたころ、藤堂は急に真剣な顔つきになった。

 「ところで、先生。長い付き合いですし、試衛館以来の御恩もありますので、率直にお話し申します。実は、高台寺で今進めている企てのことです」

 藤堂は高台寺党による近藤勇局長の暗殺計画があると切り出した。そして、その襲撃場所が醒ヶ井の休息所であることも明かした。

 「私は伊東先生を説得できませんし、仲間が行動を起こすことも止められません。ですが、そういう計画があると、近藤先生が事前に承知しているなら防ぎようがあるでしょう」

 藤堂は最後に、試衛館のつながりや、たった四人で討ち込んだ池田屋事件の同志であることに重きを置いたのだ。

 近藤はすでに密偵役の斎藤一から暗殺計画の話は聞いているので、驚きはない。だが、「ほう、ほう」と大層に相槌を打って初めて知ったような振りをして、「よく知らせてくれた」と言って藤堂に感謝した。

 <平助はやはり俺を裏切っていない。こちらが先に高台寺党をやっつけたとしても平助だけは助けてやりたい>

 近藤はこの夜、平助の心根が嬉しくて心置きなく飲んだ。

 屯所に戻って土方にこの件を話すと、土方は「やはりそうだったか。それにしても夜陰に紛れて醒ヶ井の休息所を襲うとはね。先手を打って本格的に高台寺党を潰しにかからなければならないですな」と言って、御陵衛士を早期に壊滅させる計画の着手を促した。

 二人はひそひそ話で計画を練った。

 近藤が土方に提案した内容はこうだ。

 新選組はいまだ伊東とは決定的に仲違いしているわけではない。であれば、「一度、酒でも飲みながら、昨今の時局でも語り合おうではないか」と言えば、伊東は乗ってくるのではないか。現に、大政奉還での大きなうねりが起こっている。

 伊東は今でも、「われわれはあくまで新選組の分派だ。いまだ公儀、会津藩から届けられる資金を受け取る立場にある」と新選組の勘定方に言って来ている。だから、「かねて願い出の金子を渡す」と伝えれば、安心して取りにくるのではないか。

 「酒を酌み交わす場所は休息所とすれば、伊東も安心するのではないか。ただ、伊東を屠る場所はそこではまずい。新選組がやったと公言するようなものだ。だから、帰りに襲う。新選組でなく、他の何者かがやったように闇討ちすることが肝要だ」

 近藤はこの期に及んでも体面を気にしていた。

 そして近藤と土方は伊東を招く日を十一月十八日とし、その招待先を改めて醒ヶ井の近藤の休息所とすることに決めた。皮肉にも、伊東らが近藤を襲撃しようと計画していた場に、彼を招こうというのだ。

 つまり、この日に伊東を暗殺し、できれば高台寺党の何もかもを壊滅に追い込むのだと近藤と土方は考えた。

 近藤は数日後、伊東に「ゆっくり酒を酌み交わしながら、時局を語り合いたい。その際、会津藩からの資金も分配いたそう。醒ヶ井の休息所にお越し願いたい」との文を送った。あくまでものんびりした文面であった。

 間が抜けた文に伊東は騙された。伊東はあくまで楽観的にとらえたのだ。

 <すでに大政奉還が成ったので、新選組も焦っているのではないか。だから、儂に何か策を講じてほしいと考えているのだろう>と推量した。

 ならば、<この際、新選組はもう幕府を助ける意味がなくなっていると告げ、勤王の旗印を鮮明にすべきだと近藤に言えるのではないか>と伊東は考えた。

 伊東は招待を受けた十一月十八日昼過ぎ、伴を連れず、醒ヶ井の近藤妾宅を訪れた。

 高台寺党の何人かは「これは罠ではないか」と心配したが、伊東は「ばかな。妾宅に呼んで謀殺などしたら、新選組が笑い者になるだけだ。ありえないこと」などと言って意に介さない。むしろ心配する同志をなだめるほどだった。

 新選組はこちらが先に殲滅する相手であり、このときすでに高台寺党は薩摩屋敷とも繋がりを付けている。今は相手を安心させて、いずれ近藤を暗殺するその時を待つのだというのが伊東の思いだった。

 <剣はできると自慢するばかりで、先の読めない愚かな集団に儂を討ち取る企てなどあるわけがない>と本当に高を括っていた。

 伊東は護衛もつけずに醒ヶ井の休息所に赴いたが、待っていたのは、なるほど近藤と孝子だけだった。あとから、吉村貫一郎が酒席に加わったが、伊東は心配しなかった。なぜなら、吉村は剣客だが、もともと東北盛岡生れの朴訥者。人柄が良く、伊東とも親しかったからだ。

 吉村の奥州訛りが、奥州に近い常陸出身の伊東の心をなごませた。呑むうちに<余計な心配など無用であった。一人で来て良かった>と改めて感じ入っていた。

 昼過ぎから始まった宴席は、孝子の踊りなどもあって盛り上がった。孝子も花街でいずれ芸妓になろうとし、芸事の教えを受けていただけあって踊りはうまい。

 酒席での時局の話も、「佐幕だけでは虚しい」とまくし立てるなど一方的に伊東の話が中心になった。近藤はおとなしく聞き役に回っていた。

 伊東は元来酒好きの男。注がれるままに飲み干し、時の経つのを忘れた。

 本当に楽しかったのか、夜遅くまで飲み続け、帰る気になったのは亥の下刻(午後十時)ごろ。嫌々ながらといった感じでやっと腰を上げた。

 「近藤局長。本日は実に楽しい酒だった。貴殿と時局を語ることができて誠に良かった。今後も相携えて行きましょうぞ」

 「伊東殿。それがしも忌憚なく話ができて嬉しゅうござった。心が晴れた。御陵衛士とともに勤王に力を尽くしましょう」

 近藤も笑顔で応じた。

 「駕籠を呼びましょうか」の誘いも断って、伊東は東山の高台寺まで歩いて帰ると言い張った。泥酔していて足元はふらついていたが、方向を間違えることないと判断したようだ。

 ふらふらと通りに出て、確かに醒ヶ井通りを北の方向に歩いて行った。

 近藤の妾宅を出て間もなく、謡曲をうなり始めた。

 「これは延喜の聖代に仕えたてまつる臣下なり。さても江州竹生島弁才天は。霊神にて御座候間。この度君に御暇を申し。唯今竹生島に参詣仕り候。四の宮や河原の宮井末はやき。河原の宮井末はやき。曇らぬ御代に逢坂の関の宮井を伏し拝み。山越え近き志賀島の浦にも着きにけり、島の浦にも着きにけり」

 琵琶湖の小島を舞台にした能の題目「竹生島」の一節だ。気分を良くしてか、その声は夜半近くにもかかわらず、ますます高まっていった。

 そして、醒ヶ井の小路から木津屋橋通りに入って間もなくの角で、事件は起きた。

 商家の店先に立てかけてあった葦簀の陰から一本の長槍が突き出されたのだ。

 槍は伊東の肩をかすめて首筋に突き刺さった。それを合図に、抜刀した三人ほどが伊東の前後を囲んだ。

 葦簀から最初に槍を突き出したのは、新選組で「人斬り鍬次郎」と異名を取る大石鍬次郎。身内を成敗することに躊躇しない男だ。刀を持って立ちはだかったのは横倉甚之助、宮川信吾と、新選組で伊東の馬丁をしていた勝蔵の三人。

 宮川は近藤勇の従弟であり、実績を示したかった。勝蔵はこの日の働き次第で士分に取り立てられると約束されていたため、いきり立っていた。

 伊東は剣を抜き、「奸族輩(ばら)め」と言って、最初に攻め寄せた勝蔵を横払いで切り伏せた。だが、さすがの北辰一刀流の遣い手も酒の酔いに加えて、槍の一撃を首に受けた傷の出血で体力を弱め、腰が定まらない。

 大石も加わって、市中見回りで実戦慣れした正隊士三人が代わる代わる攻めたてた。伊東が刀を振り回し、それが三人の体に当たったところで、彼らがまとった鎖帷子で跳ね返されるだけ。伊東は散々に切り刻まれて路上に伏し、あっけなく絶命した。

 四人は骸を七条通りと油小路の角まで運んで、そこに投げ捨てた。

 骸を囮にして御陵衛士を呼び出し、殲滅するためである。

 夜半過ぎ、新選組の意を含んだ町方が高台寺月真院に走り、伊東らしい遺骸が通りに置かれている事実を告げた。屯所にいたのは、篠原泰之進藤堂平助服部武雄、毛内有之介、富山弥兵衛、伊東甲子太郎実弟鈴木三樹三郎の七人。

 <町方は新選組の回し者で、この知らせは新選組の罠であるまいか>と御陵衛士たちは疑った。だが、伊東の遺骸があるならば、引き取りに行かないわけにはいかないし、遺骸だけを引き取るのであれば、鎖帷子のいでたちも仰々しい。服部を除く六人は普段の羽織袴で出掛けた。(続く)

 上の写真は、東京・深川の富岡八幡宮の裏門。