驚くことに、菅義偉内閣の支持率が、昨年9月の発足時は7割以上であったのに、半年もたたないうちに急降下してしまいました。今年1月時点では、産経など一部の調査を除いて軒並み30%台になっています。具体的には朝日新聞で、支持33%に対し不支持45%、毎日に至っては支持33%に対し不支持57%とか。急降下最大の原因は新型コロナウイルス感染阻止への取り組み不足とのこと。感染拡大の責めをひとえに内閣に負わせるのは、小生からすれば、残酷の感がありますが、調査された人が現時点のイメージでとらえる時、菅氏への好感度は生まれないのは分かります。
再三当ブログで指摘していますが、感染防止は民一人ひとりの責任であって、なんでもかんでも内閣の責任にするのはいかがなものかと思います。コロナは所詮見えない敵、政府がいかに統治能力があっても、国民の協力態勢がなければ感染防止にはなりません。それは、同じ先進国の欧米のケースを見ても分かります。都市封鎖や人の移動の制限など強制力を働かせれば、確かにかなりの成果が上がるものと思われますが、小生は中国のような強制力の行使は嫌ですね。
コロナはともかく菅総理が今いち好かれない理由はほかにもありそうです。例えば、国民へのメッセージの出し方、その発言内容。官僚が書いた文章の棒読みでは、聞き手の心に伝わらないと多くの人が指摘しています。秋田の大学で教師経験のある小生の友人は「東北、秋田の人ですから、言葉が達者でないことはしょうがない。許してあげたら」と言います。でも他方では、「どんな訥弁でも心がこもっていたら、聞き手の心に響くものです」という意見もあります。小生もどちらかというと後者の説を取ります。残念ながら、菅総理の発言は琴線に迫ってきません。
一般に、大衆が指導者を判断するのは、政策の善し悪し、見てくれ(表面的な姿や振る舞い)、メッセージ力だと言われています。政策は当然のこと、メッセージ力もそこそこ必要でしょう。政策も掲げるだけなら簡単ですが、それでは不十分。併せて政策実現のための根回し(調整力)、実現能力が必要なのです。が、そうした光景は外に出ませんから、我々が目にすることはできない。見てくれは本来政治力と何の関係もないのですが、大衆の多くはそれを大きな判断基準にしてしまいます。
菅氏は就任早々、携帯電話、NHK料金の値下げ、不妊治療の保険化やハンコ文化の撲滅など分かりやすい政策を打ち出し、それで喝采を浴び、支持率を伸ばしました。これはこれで結構。でも、その後われわれが知ってしまったのは、メッセージ力がない上に、見てくれも芳しくない点。失礼ながら、せっかく選挙区が洗練された横浜中心街でありながら、依然田舎のおっさん然なのです。政治的な能力の高低はともかく、見てくれはやはり家柄に恵まれ、都会のボンボン育ちである前任者と比べると見劣りします。
コロナのために今はオンライン会議ばやりなので、菅総理はまだ、国際会議に出て欧米の指導者らと集っていないからまだ救われています。コロナ後にそういう機会が訪れたら、欧米の洗練された指導者の中では際立って”みじめな”感じになってしまうかも知れません。失礼ながら老人的風情、背の低さに加えて、周囲の指導者と英語で会話ができないことが分かると、日本の視聴者はさらに菅氏へのイメージをダウンさせてしまうでしょう。
今は、トランプが示したような「劇場型」政治の時代。有権者は表面的なパフォーマンスを見て、一票を投じる傾向があります。そういう観点からすると、菅氏は時代にそぐわない政治家なのかも知れません。あと10ケ月で衆院議員は任期満了、秋までに総選挙がありますが、果たして自民党議員が、菅氏をあと4年リードする輝ける指導者として担ぎたがるでしょうか。
上の写真は、自宅近くの動物病院の前に飾られたうさぎちゃん。