第三章 娘の消息を尋ねて
明治二十四年(一八九一年)三月末。春とはいえ、早朝の京都はまだ寒い。
寺の本堂から大勢の僧たちの読経が聞こえてくる。
永倉新八にとっては、新選組の屯所としていた時代に慣れ親しんだざわめきで、妙に落ち着いた気分になり、時の隔たりを一瞬忘れてしまうほどだった。
西本願寺で寺男をしている新選組時代の盟友島田魁の宿坊で、京都訪問二日目の朝を迎えた。
島田が味噌汁と粥の簡単な朝餉を用意してくれた。
刀槍を用いて命のやり取りをしていた新選組の伍長時代には考えられないことで、
<こんな賄いをいつ覚えたのだろう>と新八は思った。
朝餉を食べ終わると、新八は早速、四条東の祇園に向かった。行方の分からない娘、磯の消息を一刻も早く知りたかったのだ。
五条通りを東に向かい、鴨川にぶつかると、川沿いに北上した。
幕末期、京都市中の治安維持は、新選組、新徴組、佐幕派の藩兵などが区域を分けて担当していたが、新選組は鴨川の西側から、西は、豊臣秀吉が御所守護のために造ったとされる御土居(土塁、南方は千本通、北方は西大路通)までと比較的広範囲を担った。
その中でも四条、五条通りは東西に延びた主要路であり、新選組隊士たちも屯所であった壬生寺から市中巡察に出るための通いなれた道だった。
祇園で最初に訪ねたのは、小常の姉小駒がいた一力茶屋だ。
新八は新選組時代にこの茶屋にも何度か足を踏み入れている。粋な黒塀を四条通りに連ねる店の外観は変わらない。懐かしい感じはするが、もう自分とは縁のない場所だとの思いがそれ以上に強かった。
玄関で「どなたかおられるか」と声を掛けると、年配の女中が直ぐに出てきた。
「どちらさまで」
応対した年配の女性は顔見知りではなかった。すでに二十年以上経っている。花街では、下働きを含めて、それほど長く勤める女性もいないだろう。
「杉村義衛と申す者でござる。東京から参った。実は、それがし幕末のころ京都におって、ある女性と所帯を持った。その女は死んでしまったが、身内が一力茶屋で働いていたと聞いたので、訪ねてまいった。小駒という源氏名を使っておった」
新八は手短に事実を話した。
「小駒さんな、存じてます。だいぶ前にいはった芸妓ですやろ。…今はおりまへん。御一新のあと、間もなく死にましたんや。…そう、胸の病でしたね。こちらで弔いも出しました」
年配の女性は案外古手の女中なのだろう、維新前後の茶屋のことを知っていた。
小常の姉小駒も死んでいるということ。島田魁がうわさ話として聞いていたが、やはりその通りだった。それでも新八は畳みかけるように聞いた。
「では、お聞きしたいが、小駒さんには小常という芸妓の妹子がいて、妹子には娘がいたのです。ご承知であろうか。小常という芸妓は維新前に死んでしまったので、娘は確か小駒さんが預かっていたはず。でも、小駒さんもお座敷に忙しいので、その娘はお貞さんと言うこの近くの乳母に預けられ、養育していたようですが…。その娘を捜しています」
「どうしてその娘さんをお捜しで」
「磯という名が付いていたその子は、実は、私の娘なんです」
「なんと、では、あんさんは新選組の方どすか。昔、小駒さんから、幼子を見せられ、この子の母は私の妹だが、父親は新選組の隊士なんよということを聞かされておりました」
「そうでしたか。そんなことがありましたか。…で、そのお貞さんと幼子は今、どこにおりましょうか」
「私自身は、そこまでは分かりません。おかみさんや他の女中に聞いてまいりましょう」
年配の女中はそう言って奥に下がった。
新八は待つ間、玄関を眺めまわして往時のことを思い出していた。
玄関の下駄箱の上には、早咲きの桜が生けられた小鉢が置かれていた。
新選組結成当初の局長だった芹沢鴨は特にこの一力茶屋を気に入っていて、二日と空けずに飲みにやってきた。お気に入りの芸妓もいたのだ。
新八と芹沢は神道無念流の同門。その縁からか、芹沢は祇園詣でに新八を誘うことが少なくなかった。
芹沢が壬生の屯所で不慮の死を遂げたあとも、原田左之助や藤堂平助、伊東甲子太郎ともこの座敷で飲んだことがある。
しばらく懐かしさに慕っていると、奥から「お久しぶりでございますね。永倉はんどすやろ」と言いながら、顔に見覚えがある中年の女が出てきた。
茶屋の主の娘だった。幕末当時はまだ十歳台半ばの歳で、初々しい姿で帳場の仕事を手伝っていたのを新八も覚えている。帰り際にお捻りを渡すと、ニコッと笑った顔がかわいかったが、今ではもう四十前後の中年の女将に変わっていた。名は信江とか言ったか。
「そう永倉です。今では、杉村義衛と名乗っているが…。お前さんは信ちゃんであろう。面影がある。懐かしいのう。その節はいろいろ世話になった」
「本当に懐かしい。あの時はまだ十歳を超えたばかりの小娘でしたが、今ではこんなにおばちゃんになってしまって」
「時が経てばだれでも歳を取る。それは仕方のないこと。でも信ちゃんは今でも若々しいですぞ」
確かに、まだ四十前後には見えなかった。丸顔で、もともと幼顔であったせいか。
だから、新八は女の必要以上の謙遜に、率直な感想で返した。
「あの当時、新選組は皆眉目秀麗の方が多ございました。私もまだうぶな娘の身ながら、藤堂平助さんや沖田総司さんに心をときめかしていたんどす。…もちろん永倉さんにも」
「そうであったか。それは嬉しい話ですな」
新八は、藤堂や沖田のついでに名前を言われたことにいささかのわだかまりを感じながらも、見知った人にあったことは素直に嬉しかった。そして、先ほど仲居に告げた娘捜しの話を信江女将にも伝えた。
「小駒さんのことも、小常さんのことも母親から聞いて承知しています。お二人ともお亡くなりになりはったのは本当に残念どす」
「で、乳母のお貞さんのことはご存知で」
「はい、承知しております。ご近所の人でしたから。確か今は、鹿ケ谷の方に住まはっているようですよ」
鹿ケ谷は会津藩の宿営地となっていた黒谷金戒光明寺の奥。五山の送り火(大文字)が行われる東山のふもとにある村である。祇園からは一里もない。
「鹿ケ谷に大きなよろず屋さんがありますのんや。そこで聞いてもらえば分かると思います」
「そうですか。では、さっそく行ってみましょう。…隊にいたころの昔話をもっとしたいのですが、今は娘捜しが優先されますので、失礼つかまつる。また、時間があれば、訪ねますので、その節はよろしく」
新八は早々に一力を辞去した。
東の空のお天道さまが建仁寺の鬱蒼とした木々の間から上がって花見小路を照らした。新八はまぶしそうに眼をぱちくりさせながら、身を翻して陽光に背を向け、四条通りに出る。その通りを渡って、白川沿いに鹿ケ谷に歩を進めた。
途中、金地院の大門が目に入ってきた。昔と同じ風景で、特段見入ることもない。
三月は柳の芽吹き時で、白川沿いの柳の葉も緑の量を増していた。そのしなやかな緑が風に揺れて顔に絡んできても、新八は気にしなかった。
今はただ娘の消息を知りたいという思いで頭がいっぱいで、その唯一の手がかりであるお貞さんに再会できると思うと胸の動悸が高まった。
東山山麓の真如堂近くに達すると、村の入り口によろず屋があった。
よろず屋の主人に聞いて、お貞さんの家はすぐに分かった。かやぶきの小さな農家であった。
家の門はない。ただ、植え込みの垣根があるだけ。塀にはほうきや農具が立てかけてあった。この家から見て家族は百姓だけでは食えず、お貞さんは恐らく祇園界隈の商家に働きに出たのであろう。
新八は玄関と呼べないような粗末な出入り口で「ごめん」と叫んだ。
すると、二十歳過ぎの若い女性が「どなたさまですか」と言いながら、奥から出てきた。
女性は化粧っ気がなく、紺の木綿の袷にカルサン袴を履いていた。だが、整った顔立ちをしており、田舎にはまれな上品さも備えていた。
新八は一瞬、娘の磯ではないかと動揺したが、声はなるべく平静さを保った。
新八は挨拶を早々に済ますと、一力訪問時と同じように、自分の素性と幕末に生まれた娘のこと、その娘を乳母のお貞さんが連れてきて最後に面会したことなどを説明した。
すると、若い女性は「母貞子は一昨年死にました」と告げた。
お貞さんは、平民苗字必称令により岡田貞子という姓名になっていた。
「それは愁傷なことで、お悔やみ申し上げます。…で、お貞どのが育てていた磯という娘のことは聞いておられないか」
新八はそう言いつつ、目の前にいる女性が磯ではないかとの思いをさらに募らせた。そういう気持ちが無言のうちに女性に伝わったようで、きっぱり言い切った。
「私は磯さんではありませんよ。私は吉といいます」
最大の手蔓と見ていた乳母はすでに死去しているという。新八はがっかりした。
でも、消息の手がかりはまだあるはずだ。
吉は老人の目から一刻も早く娘の消息を知りたがっていると察知した。そこで、
「私も母から、磯さんの話は聞いております。…私が生まれてしばらくして、はやり風邪でなくなりはったと」と告げた。
「えー、磯は死んでいる…。それはまことか」
「ええ、そのようです。墓もあります。母親の墓や、磯さんの養育を頼んできた小駒さんの墓も近くにあると聞いてはります」
<えー、何ということか>
新八は呆然とし、しばらく声が出せなかった。
頭が真っ白になった。
戊辰戦争で死ぬと思っていた自分が生き残り、乳母の手の中で元気はつらつで泣いていた娘がすでにこの世にいないとは。何と皮肉なことか。
「ところで、吉さんは貞さんの娘子ですか」
新八はしばらくして、気を取り直して聞いた。
目の前の娘が磯でないなら、どういう女子が知りたかった。
「いいえ、私は外からもらわれてきて、この岡田の家で育てられた養女です」
「そうでしたか、貞さんは磯のほかにあなたも引き取っていたんですね」
すると、吉はそれには直接答えず、
「小駒さんには、かわいがっていた妹芸妓で小百合という方がおいやす。詳しくはその芸妓はんに聞いてみたらどないでしょう。私より詳しいことが聞けるかと思います」と付け加えた。
憔悴した新八を見て、少しは慰める意味もあったのだろう。
<良かった。まだ、手蔓はあるようだ>
吉から、小百合がまだ祇園の芸妓として残っていることを聞いて、新八は再び祇園に引き返すことにした。磯のこと、一刻も早く正確な情報を得たい、新八の頭には、そのことで頭がいっぱいになった。(続く)