つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「散切り頭の新八独り旅」その3

第三章 娘の消息を尋ねて(続き)

 

 「杉村さま。客人が見えていますよ」

 京都滞在四日目の早朝、永倉新八西本願寺近くの宿屋にいて、そこの主人にたたき起こされた。

 新八は西本願寺の宿坊に二晩泊まり、近くの旅館に移った。西本願寺には、新選組が屯所にしていた当時の僧がまだ残っており、島田魁を訪ねてきた老人が元新選組隊士ではないかと気づき始めたからだ。

 この寺の僧たちはもともと長州贔屓で新選組に好感を持っていない。いや、むしろ反発心の方が強かったかも知れない。

 「西本願寺は長州とつながっている」として、新選組は僧たちに何かと嫌がらせをしたからだ。実は、西本願寺を屯所にしたこと自体、嫌がらせの意図が含まれていた。境内で大砲の試射をしたり、食用のために豚を放し飼いにしたりしていたのを、僧たちは不快そうに見ていた。

 新八は、今おとなしく寺男をしている島田魁に迷惑がかかってはならないと太鼓楼を離れた。でも、島田と連絡が取りやすいように門前の旅館、尾張屋を京の宿とした。

 そこに偉丈夫な元武家風の男三人が訪ねてきた。この旅館にいることは島田から聞いたのであろう。

 玄関に顔を出すと、見知った顔だった。二日目に鹿ケ谷を訪ねた帰り、サーベルで仕掛けてきた男だった。

 「津田君とか言ったか。…何の用か」

 「杉村さま。早朝から済みませぬ。仲間を紹介しようと思い、連れてまいりました」

旅館への配慮からか、津田は永倉さんとは言わず、杉村さまと言った。

 玄関に立ったのは、津田のほか、三十歳を超えたと見られる二人の男。一人は壮士風で、黒地の羽織、仙台平の袴を履いていた。髪も長く、ひげ面でもあった。

 もう一人の男は壮士然の男と正反対に文明開化にふさわしい洋装だった。珍しくも茶系の三つ揃いの背広を着こなしていた。

 津田はこの日は邏卒の恰好でなく、厚手の単衣で着流し姿だった。

 「勝手に連れてきてしまい、申し訳ありません」

 「そうか。では、部屋に上がって話をするか」

 「いや、杉村さま、ここではまずいですから、静かなところに参りましょう」

 要は、他人に聞かれたくないことを話したいということであろうと察しが付いた。

 「相分かった。では、しばらく待たれよ」

 新八は着替えてから、三人を外に連れ出した。

 津田が誘った先は、なんと伊東甲子太郎の殉難碑がある本光寺だった。伊東が落命したところでもあり、御一新後、殉難碑が建てられた。朝敵新選組と戦った討幕側の烈士の扱いになっているのだ。

 ここの桜は陽光を受けやすいところにあるためか、すでに満開近い。その花の上の青空の中に藤堂平助の顔が浮かんだ。斬られたあとの苦渋の顔だった。

 「津田君、この寺がどういう寺が承知しているか」

 「いや、分かりません」

 「そうか、分からなければそれで良い。ただな、儂にとってこの場所は忘れがたい場所なのだ」

 新八はそう言ったが、具体的にどういう場所だったかは言わなかった。言いたくもなかった。<若い奴らには分からなくてもいい。あれは、幕末の狂気の時だったのだから>と独り思うだけだった。

 寺の境内は早朝故、人気もない。境内の四阿に新八を囲んで三人が座った。

 「津田君から先生のことを聞きました。私は前田源之助と申します。まだ子供の時分でしたが、新選組のことは聞き及んでいましたし、強く印象に残っています。何を隠しましょう、実は私は長州出身ですから」

 羽織袴の無精ひげの男が切り出した。杉村が永倉新八であることはとうに話されているようだ。

 「なんと、そうかね。君は長州藩の出身でしたか。……昔はよく長州者と剣を交えたな。でも、今は何のわだかまりもない。実はな、ここに来る前は蝦夷地にいて、樺戸集治監という監獄に奉職しておった。看守に剣術を教えるためだ。看守の中には長州者もいたし、囚人の中にも長州がいた。確か、萩の乱で捕まった者だった」

 「え、萩の決起に加わった者がいましたか。…実は私も前原軍に加わり、政府軍と戦いました。まだ十代の年頃でしたが…」

 萩の乱とは、松下村塾にも学んだ元長州藩前原一誠が首領となって起こした反政府の戦さだ。国民皆兵の徴兵制度の導入で武家の存在が否定されたことに怒った士族の反乱と言われている。

 「そうであったか。よく捕まらないでいたね」

 「捕まりましたが、政府軍も子供は見逃してくれたのです。大人の誘いで仲間に入っただけと思ったのでしょうか」

 「で、乱が鎮圧されたあと、君はどうしていたのか。長州には居づらかったであろう」

 「そうです。で、私は大阪に出て、相場師になったのです。杉村殿はご存知かどうか分かりませんが、米とか絹とかは時々の需要によって値段が動く物品です。それで、先を見越して事前に売ったり買ったりするのが相場師です。実際の売買価格がその見越した額より下回っていれば、こちらの儲けになるし、上回っていれば損をする。そういう商いです」

 前田は得意気に話した。壮士然としていたが、その実、商売人だったのか。見た目の恰好とやっていることの開きの大きさに、新八は驚いた。

 「それで儲けたのかね」

 「儲けることは儲けましたよ。ただ、金を貯めても虚しい。武家の心意気は遠退いてしまいます。萩の決起は何だったかとずっと思い続けています。ですから、今でも憂国の情は変わりません。この神州日乃本が異国の者どもに汚されてはならないということです。私は幕末の志士たちが持っていた攘夷の心は間違っていなかったと今でも思っています。だが、伊藤博文井上馨は欧米の麾下に成り下がってしまいました」

 前田は、ただの商人かと見られるのを打ち消すように、同郷の先輩をけなしながら、武家としての熱い思いを吐露した。(続く)

 上の写真は、京都・東福寺の回廊。