つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

体重増は蠱惑的だが、故障の原因だ

 大相撲春場所が終わりました。自宅にいて可能であれば、幕下上位の取組からテレビ観戦している好事家ですから、当ブログでも、毎場所一回は相撲に言及したいと思っています。で、今場所最大の印象は何かと問われれば、やはり田子の浦部屋の”伝統”なのか、この部屋の力士はここ一番の取組に弱いなってこと。かつて稀勢の里(現荒磯親方)は「ここで勝って優勝を」と大勢が期待、応援すると、必ず負けていました。同じように、稀勢の里の弟弟子の現小結高安も今場所、照ノ富士に最大2つの星の差を付けていたのに、最後はプレッシャーに負けて体が硬くなり連敗、自滅してしまいました。

 逆に、逆転した照ノ富士は立派だったと思います。あの手足にぐるぐる巻いたサポーターを見ると、満身創痍なんでしょう。新聞によれば、場所の後半になればなるほど古傷の膝などが痛み出すそうです。でも、彼は痛みある様子を土俵上で見せず、15日間取り切りました。これが異国(モンゴル)から出稼ぎにきて背水の陣を敷く男のガッツなんでしょうね。それに比べて、”自滅の刃”の高安も母親はフィリピン人で、半分異国の人ですが、日本育ちなのでどこかに甘えがあるのかも知れません。ちょっと辛口過ぎて申し訳ないのですが、これも高安に対する期待の裏返しです。

 照ノ富士というと、小生が理事をしている奨学金支給財団での出来事を思い出します。財団のビルの上は留学生向けの宿舎になっていてモンゴル人学生も入っていましたが、その昔、照ノ富士が国で仲が良かったこのモンゴル人を訪ねてきたのです。それはそれで財団にとって名誉なことなんですが、照ノ富士はこの宿舎のトイレに入って便器を壊してしまったのです。なんせ200キロ近い体重ですから、一般の人用の便器では支えられません。それはしょうがないとしても、その後に弁償を申し出たという話が聞こえてこないのは残念です。

 有名人の印象というのはちょっとしたこと、それでファンになるかどうかも決まります。小生はかつて小兵だった宇良に好感したのは、昔の十両時代、彼が取組に勝って花道を引き揚げるときのしぐさ。前から来た老婦人がハンカチか何かを落としたところ、彼はわざわざ腰を落としてそれを拾い上げ、婦人に渡したのです。花道も歌舞伎で言えば舞台の一部、普通、役者はこんなことはしません。でも、宇良は根が優しいのでしょうね、目の前のことに放っておけなかったのです。この行為にNHKのアナウンサーも絶賛していました。彼のインタビューを聞いても、朴訥とした感じに素直さがにじみ出ています。だから、応援したくなってしまいます。

 宇良はかつて小兵で、居ぞり、伝えぞりなど背筋を使った決め技を持っていました。それはそれで魅力的でしたが、体重がないと上の番付では戦えないと自覚したのか、昔の十両時代から体重増を図りました。それで相手の押しに対してもひるむことはなくなりました。でも、それによって”副反応”が出たのです。膝への負担、故障です。それでかなり長い間、休場を余儀なくされました。照ノ富士栃ノ心、最近では琴の若、あまたの力士がぶち当たるのは膝の故障。便器も壊すような200キロ近い体重では、膝を壊してしまうのは宿命でしょう。

 相撲は前に圧力をかけて相手に俵を割らせてしまえば勝ちですから、慣性の法則からすれば、重い方が強い。ですから、体重増の誘惑は捨てがたいのです。しかし、それが力士生命を縮めるということも併せて知るべきです。宇良にはもう膝を痛めるような事態を起こしてほしくない。今のデブ状態では押されて後退し、土俵際で残そうとすると膝に負担がかかるので危ない。土俵際でうまく回り込むか、それができないのなら土俵を割ってしまう方がいい。いや、本当を言えば、もう一度体をスリムにし小兵に戻って土俵内を縦横に動き回り、足技、そり技、下手投げ、打っちゃり、肩透かし、突き落としなどの”小兵技”を連発して欲しいのですが、、。

 上の写真は、快晴の日の千鳥ヶ淵。桜満開でした。