つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

親友の突然死は、喪失感が募るばかり

 今週半ば、30年来親しくしていた親友を亡くしました。病院に薬を取りに行って、その帰り駅頭でハートアタックに遭い、意識不明のまま5、6日経って彼岸に旅立ちました。まだ72歳の”若さ”で、この世にお別れを言うような年齢ではありません。大変残念です。彼とはもともとある勉強会で会い、つまらないダジャレを言う共通性があったことから仲良くなりました。彼はずっと勉強会(講演会組織)の幹事をしており、小生もサブ幹事としてそれを支援していた同志ですから、たまに酒を飲むし、その時々に電話で連絡を取り合っていました。

 前に愛犬が死んだときにこのブログで書いたのですが、愛犬の死は母親の死より喪失感があったと。というのは、母親は死ぬ10数年前から老人ホームに入っており、後年はたまに小生が会いに行くと母親は顔を思い出し笑顔にはなるけど、会話にはならず、寂しい思いをしていました。それに比べて愛犬は家にずっといて、家に帰れば我が方に寄ってきます。母親と犬とを比較するのは恐れ多いことですが、どちらに愛着があって、亡くなった時に喪失感があったかと言えば一目瞭然です。

 ということで、たまにとはいえ、かなりの頻度で電話していた友人の突然の死はショックであったし、喪失感たるやすごいものがあります。何か相談事があると連絡していましたが、その都度彼は面倒臭さを感じさせず、応じてくれました。だから、今後は相談する相手がいないので寂しさ、悲しさが募ります。悲しさの本質というのは喪失感なんでしょうね。これは作家、城山三郎が妻を亡くした後、何か用事を言いつけようとして周りを見ると、妻がいない。それで「そうか、もう君はいないのか」というエッセイを書いています。存在が大きかった故の喪失感は分かります。

 病院に通っていたのですから、本人は生に対してまだまだ執着があったと思います。小生は6年前に胃癌を患い胃を切除しましたが、彼はその前に舌癌を患い、舌を削っていたようです。小生が退院した後に「やっと追いついたよ」と言ったら、笑っていました。第一期生の気象予報士であり、しかもかつてはテレビの天気予報コーナーでもしゃべっていたそうですから、講演の口もよくかかったようです。舌を削ったことでしゃべりが悪くなるとまずいとばかりに、日ごろから好きな落語の言葉や回文を繰り返していました。そのため、舌癌の人が術後に起きるようなしゃべりの悪さはありませんでした。

 小生と同じくダジャレの好きな人でしたから、酒を呑むたびにシャレを言ってました。ただ、同じネタの繰り返しが多かったです。だから、小生は「Tさん、その話はもう100回聞いたよ」と嫌味を言うのですが、彼はまったく動じずに、「一回も聞いたことがない人がいたら、それでいい」とばかりに繰り返すのです。彼の冗談話の一つに、病院に入院中に毎日のように同じダジャレを看護師に話すので、看護師が呆れて「Tさん、もういい、早く退院して」と嘆いたらしいのです。けど、彼はそれすらも自慢話のネタにしていました。

 彼が主幹事であった勉強会は、このコロナのご時世ですから、1年以上前から休止状態になっています。でも、コロナ明けには何らかの後始末が必要でしょう。つまり、だれかが代わりの幹事となって続けるか、それともこれで幕とするか。小生は彼の器量には及びませんので、代わりを努めるのは無理。やはりこれも悲しいことですが、幕引きを図るしかなさそうです。それはそれでまたまた喪失感が出てきそうです。

 上の写真は、一カ月くらい前のもの。横浜の小生自宅付近の大岡川端で満開に咲く川津桜と、ソメイヨシノが川に散った後水面に浮かぶ花弁。突然死した友人も桜が好きで、毎年、市谷の土手で勉強会花見の宴を開くのを楽しみにしていました。