つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

小説「散切り頭の新八独り旅」

第五章 津田三蔵の攘夷計画は固まった(続き)

 

 大阪・堂島米市場で五月初頭の一日、夏相場の商いが始まった。

 堂島の米取引所は、江戸時代、各藩の蔵屋敷が立ち並んでいた中之島の、堂島川を挟んだ対岸にある。

 昔は、西日本各地から中之島蔵屋敷に米が集荷され、現物が仲買人によって品質が検査され、値段が付けられていった。今も現物の正米商いの取引はあるが、主流は、帳合米商いという一種の先物取引である。江戸時代からすでに始まっていたが、明治に入って、こちらの方が多くなった。

 堂島米市場では、売り方と買い方が取引所の広場に集まり、帳合米商いは午前八時から、正米商いはそれより二時間遅れて午後十時から、水方と呼ばれる役人が拍子木を打つと、仲買が掛け声をかけ、取引が始まる。

 米百石を最小単位とする金融商品の米切手が、競り合う方式で買い方によって値段をつけられていく。米切手が約束する現物が実際に現れるのは十月。そのため、買い手は夏から秋の天候を見極めて買い値段を付けていかなければならない。米切手を安く買って、のちに天候悪化で不作となれば、現物は高く転売できるという仕組みだ。

 夏相場に出てくる米は山陰、北陸ものが多い。この地域の米は、山間の田畑で生育されるだけに天候に左右されやすい。その分だけ取引は面白味が出る。

 夏相場が初めて立ったその日、柏屋善兵衛、西門屋言右衛門、摂州屋稲垣仁蔵、前田源之助の前田一派、そして住吉喜三郎らの京都商人一派も取引所の中にいた。

 午前八時、「カーン、カーン」と乾いた拍子木の音が鳴った。

 「遣った(売った)。遣った」の声が場内に響き、そのあとに「北陸米一石当たり六円」の値段が叫ばれた。

 ただ、これに対し「取ろう(買おう)。取ろう」という買いの声がないので、活況は呈さない。場立ちはしばらく模様見しているようだ。

 今夏の天候は安定するのか、荒れ模様になるのか、多くの場立ち、また彼らに指示を与える相場師たちも判断がつきかねていたのだ。

 しばらくして、喜三郎の一派やその他の場立ちが買いに入った。今、取引所内を支配しているのは、今夏の天候が悪化するという情報で、多くの相場師は当初はそう見込んでいたからだ。売買値段は徐々に高騰し始めた。

 これを見た前田が突如手の平を相手に向け始めた。売りに出たのだ。

 「これで、京都の商人連中の頭を冷やさせてやる」

 前田のぎょろっとした目が一段と開いた。

 京都派だけでなく、多くの場立ちの動向を見たかった。前田はそれなりに名の売れた相場師だ。自分の動きに注目する者がいれば、買いの動きは収まるだろうと思った。

 前田派の売り一方に案の定、一部の者たちが動揺し、買いの動きを止めた。

 多くの相場師は、<天候悪化が言われている中、前田派が最初から売りに出ているのは、相当な根拠があるからだろう>と思い始めたようだ。

 一、二時間もすると、買いより売りの方が多くなり、取引値段は下がっていった。

 これに対し、喜三郎派も内心喜びながら、一時買いを止めた。動揺している様子を見せたかった。買い進めたかったが、売り方もその動きを止め、取引値段が再び上昇するのを嫌ったのだ。休み休み、躊躇している振りをしながら、北陸米の買いに入って行った。

 「きょうだけで千石以上は買えた。かなりの安値でこれだけ仕入れたら、秋には大金に化ける。これで、昨年の損は取り戻せるかもしれない」

 喜三郎は、京都の株仲間の商人たちとひそかに顔を見合わせて、ほくそ笑んだ。

 喜三郎は、大坂の商人たちに晴天情報を流したことを尾上小亀から直には聞いていない。しかし、前田派が尾上一座と懇意にしていることは事前に知っていたから、あるいは小亀が吹き込んだものではないかと確信した。

 となると、前田派はずっと買いには出てこまい。こちらの思うつぼだ。

 「取引所に出される北陸米はあとどのくらいになるかは分からないし、こちらの資金の都合もある。ここで手仕舞いするか、あるいは続けるか。仲間内でまた相談せねば」

いろいろ思案しているうちに、「カーン、カーン」と水方が打つ拍子木が大きな音を立てた。

 午後二時、拍子木の合図でその日の帳合米商いは引けた。圧倒的な売り相場になった。

 前田派は、大引けのあと、取引所近くの酒場で会合を持った。

 「いやー。ほんま驚いたわ。京都の商人どもは異常な買いに入ったのには」

 「なんや、根拠でもあるんやろか」

 言右衛門と善兵衛が不思議そうに振り返る。

 「今日だけで、地主方に支払う分を差し引いてこちらの手数料は二百円くらいにはなりそうだ。ただ、ほんまに天候はどうなるんやろうか。作況が悪化したら、米価は跳ね上がり、こちらは大儲けをし損なることになるんやなー」

 年長の善兵衛がため息交じりにつぶやいた。

 「けど、今は小亀の情報にかけるしかないな。逆に、天候が安定したら、それはそれでわれわれの売りの判断は正しかったことなる」

 もちろん、前田が率いる大阪の商人一派も、地主方から米を購入する際の資金を銀行から借り入れている。米切手を長く持っていて米の豊作、不作が分かった時点で勝負が決まる。不作なら、米価は上昇するから、米切手の価値は増す。

 逆に豊作では米価は下がり、場合によっては地主方から仕入れた時点より下がる場合もあり得る。そうなれば、米切手の価値は下がり、銀行から借りた資金の金利を含めて相場師は大きな損失を被ることになる。いずれにしても、現時点では損得は分からない。

 次の日も北陸米が取引され、前田派など大坂グループが売りに出て、京都派が買いに回った。この二日間で北陸米取引は手仕舞いした。

 上の写真は、大阪中心街を流れる堂島川の支流土佐堀川。上の方は対岸、下の方は右側が中之島で、昔は蔵屋敷があった。堂島米市場は堂島川の北岸にあったとのこと。