第五章 津田三蔵の攘夷計画は固まった(続き)
前田源之助は、堂島米取引での商いに一喜一憂しながらも、再び津田三蔵、大河内多聞と大阪で会った。時は五月四日、もう気候もだいぶ暖かくなっている。
場所は前回と同じ大阪北御堂近くの居酒屋「伯楽」であった。周りの客に話が聞こえないよう奥座敷を取った。
「ロシア皇太子が今月十日に京都見物に来る。その時、琵琶湖も見る計画であるそうで、滋賀県警に奉職している身にとっては攘夷決行に願ってもない機会だ」
津田が声を潜めて口火を切った。
「恐らく、私も警備に駆り出されよう。その警備の隊列の中から飛び出して皇太子一行を襲う。先頭馬車には恐らく皇太子は乗っていまい。先頭は随行者だ、あるいはうわさになっている西郷隆盛かも知れぬ」
「では、西郷を襲うだけで良いということですか」
大河内が再度確認した。
「然り。皇太子本人を傷つければ、国際問題になり、ロシアと戦争になってしまう恐れもある。今、我が国がロシアと戦争して勝てはしまい。われわれの攘夷は外国人の、とりわけ海外の使節の車列を襲うことで十分その志は伝わると思う。われわれは先頭馬車の者を襲えば十分だ」
「分かった。ではわれわれは何をすれば良い」
前田が煙草に火をつけて、聞いた。前田はそう言うものの、この時正直に言えば、近い将来の攘夷決行に前向きになれない。今年の夏米相場の行方を監獄の中でなく、娑婆の世界で見守りたいという思いがあったからだ。
「最初に突入するのは私だ。前田氏と多聞は、警備している私のそばにいて、私の動きを見守って欲しい。万一、馬車に西郷らしき男がいて、私が討ち漏らし、男が馬車から逃げるようなことがあったら、追いかけて討ち取って欲しい」
「相分かった」
大河内は返事をしたものの、前田は「おう」と言って軽く頷く程度だった。
「で、この計画は永倉新八どのに伝えるのか」
前田の懸念はもっともだった。首領と仰ぐ人をどういう形で使うか。実行計画に加わって一緒に車列を襲い、神道無念流の剣を振るってもらうか、あるいは実行部隊には参加せず、のちに「自分が首領だった」と新聞などで訴えて、宣伝に努めてもらうか。
「永倉どのを実行部隊に入っていただくのは無理がある。襲撃に元新選組幹部が加わり、万一先頭馬車に西郷が乗っていたとしたら、それは勤王、佐幕で争った幕末の再現になってしまう。あの御仁は、実行部隊には加わらず、後の宣伝に協賛してもらえれば、それでいいのではないか」
「それで良かろう」
前田と大河内は頷いて、盃を干した。(第五章終わり)
*第六章以下を書き直していますので、「散切り頭の新八独り旅」はしばらくの間、休載いたします。
上の写真は、大阪・くらしの今昔館の展示物。街中の裏店長屋の風景。