つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「台湾解放」を言う中国は東慶寺門前の暴力亭主

 よくよく考えてみれば、おかしな話です。中国が「台湾は中国の一部であり、絶対に独立させない」と宣言していること。台湾には大陸から渡った中国人が多く住み、同じ標準中国語を話しているので「中国」の一部であることは認めるにしても、中国が台湾を軍事占領し、強制併合するというのはどういうことか、理解できません。今でも毎日のように台湾領海上空に軍用機を飛ばして威嚇しています。亭主を嫌って東慶寺(縁切り寺)に逃げ込もうとする妻に対し、暴力亭主が門前で「俺たちは家族じゃないか。なぜ逃げる。許さん」と言って殴りかかろうとしているようで、見苦しい感じがします。

 台湾は李登輝総統時代の1990年代半ばに、民主化を果たしました。それまでは国民党の独裁体制でしたが、以後は成人の全民投票によって「台湾地区」のトップを選べるようになりました。小生も香港で記者をしていたので、何度も台湾に取材に行き、この最初の総統を選ぶ選挙も取材しています。人民が初めて民主主義を味わうことに酔っていました。この選挙の時、大陸は何をしたか。「民主主義は許さん。選挙は止めろ」と言わんばかりに、高雄と基隆の沖合にミサイルを撃ち込んで威嚇したのです。

 自由と民主主義が当たり前だと思っていた日本の戦後生まれからすれば、信じられないような暴挙と映りました。「まだ、自由と民主主義を露骨に否定するような野蛮な国があったのか」としみじみ思いました。あれから、25年以上経ち、台湾ではすでに完全に民主主義が根付いています。小生も香港から帰って、会社を辞めフリージャーナリストになっても、毎回台湾の総統選を見に行っていますが、人民は自由な選挙制度謳歌するように熱気に満ちた選挙集会を開き、街頭活動を展開していました。

 小生が初めて台湾を訪問したのは学生時代の1972年で、まだ蒋介石総統が生存していた時代でした。この時、小生がバスの中で親しくなった地元の人に政治の話をしようとしたら、とても嫌がられたことを今でも覚えています。それからすると、台湾の民主主義はなんと成熟したことか。西側先進国がすでに当たり前のように享受している自由、民主主義、人権を得た台湾が今さら、それらを捨てられようか。国民党独裁時代の閉鎖社会に戻れるのか。戻れるわけがないでしょう。

 中国はいまだに「必ず台湾を解放する(我们一定要解放台湾)」のスローガンを言っています。解放とは人民に自由を与えると言う意味です。だが、今の大陸は残念ながら、為政者を自由に選べる民主主義どころか、発言・表現の自由も、報道の自由も、結社や政治活動の自由、厳密に言えば居住の自由もない、ノーベル賞作家劉暁波のような政治犯を獄中死させたり、人権派弁護士を拘束し、罪に問うように基本的人権もない。あるのは街頭カメラによって厳しく人民を行動監視することだけ。アリババ集団の馬雲オーナーの軟禁状況を見ると、経済活動も徐々に制約を受けそうです。

 今の中国自身に「解放」する素地がないのです。だから、台湾を強制併合したら、台湾の自由はなくなり、大陸と同じになるということ。まさに、「台湾解放」でなく「台湾拘束」になるのですから、一度自由と民主主義の素晴らしさを味わった台湾住民が受け入れるわけがない。中国当局が「いや、一国二制度とするから、そんなことはない。今ある自由は保障する」などと言ったところで、1997年に一国二制度を保証して併合した香港の今の現状を見れば一目瞭然。大陸側の甘い言葉を台湾住民が信じることはないでしょう。

 小生は、中台は民族的に同じなのだから、同じ国家になることに異議を挟むつもりはありません。ただし、政治制度は「血」を超える。自由と民主主義を謳歌している台湾が大陸の一統独裁の強制国家の下に入るのはどう見ても、どう考えても、理にかなっていないと思います。手前勝手な亭主が暴力を振るって東慶寺門前から女房を家に連れ戻そうとしても、その亭主が心を入れ替えない限り女房は戻らない。イソップの北風と太陽の物語の通り、世の中は力だけでは動かないものです。であれば、大陸自身が変わってほしい、太陽のような暖かさ、優しさを持ってほしいと思います。

 上の写真は、4月のある日の渋谷ハチ公像前。渋谷最大の待ち合わせ場所ですから、いつもなら、像の近くに近づけないほどの人だかりですが、さすがに非常事態宣言が出ていると人は少ない。