つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「人生の後の住処」とは随分しゃれたネーミング

 最近、テレビコマーシャルで気に入っているのが、南麻布・了簡が運営する「アフターライフレジデンス」のCM。要は、死後の住処(すみか)、遺骨をどこに納めるかという墓場の宣伝です。小生も70歳を過ぎて、今後それほど長い先の話でもないので、この死後の住処に関心がないわけではありません。でも、それにしてもアフターライフレジデンス(人生の後の住処)とは随分しゃれたネーミングです。このネーミングと場所の魅力によって思わず購入してしまう人が結構いるのではないでしょうか。

 小生は団塊の世代の末期の生まれ。われわれは同年生まれが270万人ほどいます。現代の出生数は100万人にも達せず、70-80万人程度とのこと。単純に考えれば、同世代人が少ないということはそれだけ受験戦争でも、就職、結婚の相手探しでも競争がないわけですから、隋分楽に生きられるだろうなと思います。反対に、われわれはずっと多数の競争にさらされてきました。その上、大学受験の時には東大はじめ国立大学の入学中止があったり、就職の時にはオイルショックもあり、難行苦行でした。

 同世代多数の悩みは老齢になっても続きます。まず、病院。70歳を超えるとだれでも持病を持ち、その治療、ケアのために病院通いを余儀なくされますので、病院が満員になっています。小生も内人もそれぞれ別の大病院に通院していますが、実体験としてどちらも押すな押すなの〝大盛況”。このコロナ禍、どの商店街、飲み屋街も人通りが少なくなっていますが、せめてこの病院並みに人出があれば、経済衰退、景気の劣化は起きないだろうにと思わず叫んでしまいそうです。

 団塊の世代の争いは今後も続く。もう少し経てば今度は老人ホームへの入所で争いが起き、最後は永遠の眠りをどこにするかでも争いが起きるんだろうと予想できます。南麻布・了簡はそうした戦後間もなくに生まれた塊世代の行く末のために、早々と手を打ったビジネスだと思います。人気俳優の草刈正雄を使い、「時を超えた空間」などとしゃれたキャッチフレーズで宣伝しています。恐らく電動の回転式で出てくる墓場だと思いますが、小生も思わず購入したくなってしまいます。ただ今のところ、京都のさる寺院の墓所に入ることが決まっているので、衝動買いはなさそうです。

 我が家先祖代々の墓は千葉の霊園にありましたが、2、3年前にこの墓を処分し、先祖の遺骨は同所にある集合墓に入れました。それは、小生には子供がおらず、将来管理してくれる人がいないからです。姉たちに聞いてもそれぞれ嫁ぎ先で墓があるので要らないということで、大枚100万円近くかけて整理してしまいました。京都の墓所も何年かすると、共同墓に移ることになっています。

 小生は死後の世界を信じない唯物論者なので、もともと遺骨などどうでもいい、世間の体裁を繕うなら、山や海に撒いてもらうのがいいのではないかとずっと思ってしました。今でも、味気ない、狭い団地式(京都の墓所もそう)にいるより、一度死にかけた南アルプス甲斐駒ヶ岳の中か、生まれ故郷の千葉に近い東京湾に撒いてほしいななどと思ったりしています。

 上の写真は、横浜の大通り公園や街角で見られた青い花、赤い花。