つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「マスクは人間力を落とす」はその通り

 先般、テレビのワイドショーを見ていたら、栃木県日光市内の小学校校長が「マスク着用は人間力を落とす」として基本的に学内ではマスクを禁止していたそうです。ただ、この校長は父母会の反発があったのか、その後退職。後任校長は県教育庁の指示に従い、改めてマスク着用を義務付けたそうです。それぞれは一つの教育方針であり、正否は言えないと思いますが、困ったのは児童です。家の父母に従うのか、校長の指示を受けるべきか、かなり迷ったことかと思います。

 お前はどちらの方針を支持するかと問われれば、小生はどちらかと言うと、マスク嫌いなので、事前にしっかりとした対策を講じていれば、着用なしでもいいのかなと思います。ただ、学校教育の場では統一性が必要です。これは教育基本法で決まっていること。基本法がある限り、私立学校でも勝手は許されませんが、公立学校では特に。ですから、学校長一人の恣意的な判断、勝手な振る舞いは困るということでしょう。

 ところで、学校長の言う「マスクは人間力を落とす」という言葉はどうか。小生は真実を突いていると思います。目は口ほどに物を言うという言葉があります。一面真理ですが、人間性というのは目だけでは分かりません。口元のほころびやほほのゆるみ、さまざまな顔の造作全体で相手の考えていること、感情が理解できるものです。ですから、われわれは普段、相手の顔全体で、この人の言っていることは真実か嘘かを判断し、その後、その判断が間違っていれば、経験的にどの造作を見れば、より真実に近づけるか分かるようになると思います。

 さらに、顔全体を見れば、この人は本当に僕に好意を持っているのかとか、何となく疑いを持っているとか、毛嫌いしているのかとかも分かるはずです。それが分かれば、その後、この相手にどう対処していくべきか、どう付き合っていくべきかを知るよすがになります。そういう意味で、経験値で判断力を養う、校長が言うところの人間力の向上につながることは確かだと思います。でも、このコロナ禍の時世、マスクは必需品となり、しばらく人間力観察も我慢しなくてはならないのは残念です。

 コロナ禍ついでに、ワクチンの話。医療従事者に続いて、小生ら老人にもやっと接種が許されるようになって、同年齢の友人たちも先を争って自治体の電話、サイトに申し込んでいます。なかなかつながらないとのこと。でもつながった時の喜びようといったら、他に類を見ません。それはそれで幸せなことです。で、お前はどうかと問われると、申し込みにあまり熱心ではなく、これまで自治体にアプローチしたことはありません。いずれ自分の番が回ってくるし、それまで外出時はマスクで我慢しておけば良いと思っていますので。

 でも、小生はもともとワクチン恐怖症患者でも、否定論者でもないので、いつかはワクチンを受けるつもりでいます。そこで、普段インフルエンザ注射や、風邪の時に薬の厄介になる近所の町医者に内人がたまたま聞いたところ、「こちらでも接種できますよ」ということで2人で一応申し込んでおきました。町医者にワクチンが入るのは確かな予定がない感じで、接種日時は設定されませんでした。恐らく1回目は6月末か7月になりそうです。あと一カ月の辛抱?これまで待ったのですから、今さら慌てたってしょうがないと思っています。

 巷間、話題になっているのはワクチンの種類ですね。今、日本ではアストラゼネカも、モデルナも承認され、ファイザーだけではありません。アストラゼネカは、副作用として脳血栓の恐れがあるとして老人への接種はなさそうですが、少なくとも自分が選ぶメーカー品は打てそうにないでしょう。それでも、小生は感染リスクが1%でも減るのであれば、どのブランドでも受けようと思っています。信頼性、政治的な観点から、中国とロシアの製品だけは御免被りたいですが、、。

 今さら副作用や死を怖がって、「……のメーカーでは駄目とか」「一日も早く打ちたい」などとは考えていません。もうそれなりに生きてきたし。むしろパブリックサーバントの人たち、多くの人と会話を交わす接客の人たちに早く打ってあげてほしいと思います。ですから、首長が先に打ってもいいじゃありませんか(チャーリー浜ふう)。いや、首長どころか、役所職員全員を先にしてもいいと思います。

 上の写真は、横浜・野毛山公園に咲く小生の好きな花、紫陽花。野毛山はこれでもかというくらいに紫陽花に覆われています。

(1) Rolando Villazón sings "Je crois entendre encore" - YouTube