つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

20年以上、党首が変わらないのは変でしょう

 総選挙が公示されて、本格的な選挙戦が始まりました。本当によく分からないのは、テレビなどでオンラインで行う党首討論会に、NHKのなんちゃらという長い名前の政党の党首も出てきて自民党などと同様に演説をぶつことです。早い話、N党は「NHKの放送をスクランブル化せよ」と言っているだけで、その他の政見はない。スクランブル化とはすなわち、無条件にNHKを見せないようにし、見たい人だけ有料の契約を結べということ。勝手に見させておいて、後で金を取るなということでしょう。

 有料放送にしたら、NHKの契約者は激減し、かのテレビ局の経営は成り立たなくなってしまうでしょう。それはともかく、各テレビ局は、ワンイッシューの実現しか叫ばない立花孝志とかいう党首をなぜ「党首討論会」に出演させ、主張させるのか。まあ、今次選挙に一定数の立候補者を立て、解散まで国会議員だった人もいるというで出演条件を満たしているのでしょうが、他党派がNHKスクランブル化の是非など問題にしていないので議論にもならないのですから、まったく意味のない出演だと思います。

 まあ、意味のないと言えば、所属国会議員が1-2人程度の「れいわ新選組」の山本太郎社会党福島瑞穂の出演も意味がない。共産党立憲民主党と同じように、消費税の減税あるいは廃止、最低賃金の引き上げなどという財源無視、経済のファンダメンタルズ(基礎条件)無視での主張を繰り広げています。こうした政党が複数出演することで、国民の大多数があたかもそうした”おいしい主張”に迎合しているように錯覚させられてしまいます。今後、党首討論出演者は国会議員が5人以上いる政党としたらどうでしょうか。

 左派系少数政党は小選挙区制の中で立民や共産党と連携、統一候補を立てています。それなら尚のこと、彼ら独自の政見など聞いても意味がない。提携各党の違いなどは出さず、所詮、金太郎飴みたいに誰の話を聞いても一緒となってしまうのでしょうから。それにしても、連中はよくもこういうおいしい話ばかりできるなあー。政府、財務省が何か打ち出の小槌でも持っているかのようです。国民においしい話をするのなら、同時に財源の話にも触れるべきです。今は出費が必要だから赤字国債を出すが、その分将来は増税をするので我慢してもらうとか、将来とてつもないインフレーションを起こし、借金を相対的に棒引きにするなどという案もあるなどと主張してほしい。

 先般、日本記者クラブでの各党党首討論会を聞いていて面白かったことがあります。読売新聞OBの橋本五郎氏が共産党志位和夫委員長に対し、「委員長になってまもなく21年、書記長時代も含めると31年権力の座にいる。それは志位さんの統率力が優れていることなのか、それとも他に人材がいないのか」と質問していました。橋本氏は長期の権力保持に、中国共産党の例などを暗に示して皮肉を飛ばしたつもりなんでしょうが、志位氏はそれを知ってか知らずか、「他に人材はいる」などと言うだけで、質問にまともに答えていませんでした。

 確かに、変ですよね。いかに日共が非権力政党とは言え、20年以上、そのトップが変わらないというのは特異な事態です。これでは、プーチンも、カンボジアのフン・セン首相も、ベトナムグエン・フー・チョン書記長も、ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領も、さらに言えば、中国で来秋、3選を狙う習近平国家主席の長期政権も批判できないことになります。これらの国、政党はもともとか、今も社会主義を標榜している。どうもこうした左派系政党、国家というのは長期政権が好きなようです。

 ただ、良識ある国民からすると、こうした長期にわたり一人に権力が集中する、言葉を代えれば、長期独裁政権は決して健全な在り方とは思えないでしょう。日共はこれまで、国政選挙で当選議員数を減らしてきても(表面的には)トップ批判は起きず、交代もありませんでした。党内部で権力闘争が起きないこと、別の言い方をすれば、幹部同士の切磋琢磨がない形での政党の在り方に、党員は本当に何の疑問も持たないんでしょうか。少なくとも、この政党の支持者でない小生からすると、異常な感じがしてなりません。

 上の写真は、小生の自宅近くの大岡川沿いにある休憩スポット「ちぇりり場」とその近くに咲く「香港花」。ちぇりり場とは、大岡川が桜の名所であることから、桜のcherryと川のriverを合わせた言葉。 

林部智史 / 「あいたい(Music Video) ~ニュー・バージョン~」 - YouTube

これはこれで、”泣かせ”の名曲です。