つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

田中英壽が大相撲に入っていたらと思うと…

 日大の田中英壽理事長が脱税の罪で逮捕されました。この人、もともと理事長としてでなく、数々の有名関取を輩出した日大相撲部の監督として有名でした。本人も、あの輪島がいた時代の元学生横綱。相撲好きの小生から見ると、素晴らしきスポーツマンという印象で、ある意味尊敬の目で見ていました。ところが、どう心境の変化があったのか、彼は学生10万人もいる大学の長になったのです。どうしてそんなポストになりたかったのか、スポーツマンも権力に求めたがるものなのかに大変興味を持ちます。

 ある雑誌で、田中英壽がもしプロの世界に入っていたら、どこまで出世したであろうかという話が出ていました。あの当時の学生横綱ですから、間違いなく幕内、それも三役までは行くでしょう。問題は、輪島のように大関横綱まで行くかということですが、恐らくそれは無理なような気がします。輪島は「黄金の左」と言われたくらいに、左四つに組むと実にいい位置の左下手を取り、右から厳しく押っつけていました。相手はそれに反発しようとすると、輪島は透かさず相手の力を利用して左下手投げを繰り出すのです。

 つまり、輪島は右押っつけがすごかったので、左下手投げが有効でした。普通、下手投げを得意にするのは智ノ花、舞の海里山(彼らも日大相撲部出身)のような小兵力士。輪島のような大型力士の技としてはそぐわないのですが、多くの力士もそう考えて輪島の下手を軽視してしまい、結局、黄金の左で投げ飛ばされてしまうのです。実に巧妙な作戦、頭脳的な技でした。田中英壽にそこまでの技があったかどうかは疑わしい。でも、田中が角界入りしていたら、輪島を超えるスパースターになっていたと持ち上げる雑誌もありました。

 それはともかく、田中は角界入りを避けて日大の職員になったのです。驚きです。もちろん、この時点で、将来、相撲部の監督になることは想定していたのでしょう。でも、日大全体を牛耳りたいとまで思っていたのであろうか。理事長就任以降の権力志向、その体制構築からすると、案外そういう野望があったのかも知れません。というのは、あのふてぶてしい顔。絶対的な権力者の顔です。あの顔から何かを恐れるという畏敬、他人への謙譲心を持つというような謙虚さはみじんも感じられません。

 アメフト問題が起きた時も、何のイクスキューズもせず、無言で通しました。アメフト事件は間違いなく意図的に相手の特定選手を攻撃したもので、攻撃した選手自身もコーチから教唆を受けたと証言しており、刑事事件にもなり得たケースです。だが、田中は記者会見の席には一切出ず、飲み屋の帰りにマスコミのインタビューを受けた際も「わしゃ、知らん」の一言でした。高等教育機関、しかも日本で確固たる地位を築いている総合大学の長として、飲み屋帰りのこの態度はいかがなものか。日大の品性にも関わると思いますが、、。

 田中が行くことも考えられた大相撲でも、何度も不祥事が起きました。ですが、その都度、相撲協会は謝罪し、解雇や降格などで然るべく対象者を処分してきました。現在の八角理事長も、その態度から謙虚さが感じられるし、権力臭は漂っていません。日大よりははるかに健全なような気がします。であれば、田中が大相撲に入り、親方になって理事長にでも就いていたら、へんな相撲協会になっていただろうなーと相撲好きの小生などは要らぬ心配までしてしまいます。

 上の写真は、小生自宅近くの寿司屋店頭にある美空ひばり像。下の写真は、渋谷地下街にある売店で見かけたハチ公ぬいぐるみ。