つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ブチャの惨状、「カチンの森」から理解できる

 キーウ郊外のブチャの惨状が明らかになるにつけ、侵略戦争の本質とは、やはり略奪と女性への凌辱なんだなということがしみじみ分かります。小生は、大学で国際関係論の授業をしていた時に、1939年のナチスドイツのポーランド侵攻や1990年のイラクフセイン政権によるクウェート侵攻を持ち出し、そういう事実があったことを話しました。が、まさかこうした”分かりやすい侵攻”、19世紀、20世紀初頭によくあった露骨な侵略戦争が21世紀になって起こるとは思っていませんでした。

 他国に軍事的に足を踏み入れるのは本来「正義」がないので、兵隊に士気が高まりません。ですから、兵隊を鼓舞するには「攻め込んだところでは何やってもいいよ。好きな物を奪え」というのが一番効果的なんですね。日本の戦国時代にも、他国を侵すときに先駆け軍にはそういう檄を飛ばしていたそうです。ベラルーシからキーウ方面に進軍したロシア兵はシベリア、極東から集められた若者とのこと。であれば、彼らは欧州部ロシア人より西側先進国の人と生活に羨望、嫉妬心がありますから、それを壊そうと一段と野蛮で残虐になるのでしょう。

 ロシア軍がブチャや近くのボロジェンカで大勢の住民を虐殺したことが分かってきたのですが、これってデジャブ(既視感)でなく、現実に過去にも同じようなことがありました。1939年ナチスポーランドに侵攻すると、ソ連はそれに合わせて北側からポーランドに攻め入り、ドイツとソ連ポーランド領土を2分割してしまったのです。ドイツ侵攻を見たポーランド軍将校は最初にソ連に支援を頼もうとしたのですが、逆に攻められてしまった。それどころか、将校たちは「カチンの森」に集められ、反抗を抑えるため、ソ連兵によって一人ひとり銃殺されてしまったのです。

 戦後、ポーランドソ連圏に入り、指導者はソ連の回し者だったので、将校虐殺の件は闇に葬られました。もちろん、カチンの森に埋まっていた多くの将校の遺体は掘り起こされましたが、ソ連ポーランドの回し者指導者は「虐殺はナチスがやったもの」と罪をナチスに擦り付けてしまったのです。このいきさつは、ポーランドソ連のくびきから逃れたあとやっと明らかにされ、名匠アンジェイ・ワイダ監督が「カチンの森」という映画を制作したことで、世界的に知られるようになりました。

 ここから我々が理解できることは、ソ連、つまり今のロシアは平気でうそを付く習性を持っているということ。今回もブチャの虐殺についても、ロシア政府は恥も外聞もなく「ウクライナ側の自作自演」などと抜かしています。ですが、今は闇に葬りやすかったカチンの森の時代ではない。衛星からすべて観察できるし、現場を目撃した生存者も多く残っているし、虐殺に加わったロシア兵も捕虜になっている。いくらでも証言者がいるし、証拠もある。自由な報道のないロシア国内の民をだませても、世界はだませないのです。

 ポーランドが今、ウクライナの避難民を温かく迎え入れているのは、自らもロシアから同じ仕打ちを受けた経験があるから、反面教師としたのでしょう。当時のソ連社会主義国、一応人民に寄り添った国ということになっていました。ところが、スターリンは他国の民を助けるどころか、帝国主義者よろしく領土を奪ってしまったのです。ポーランド人民にとっては、すがろうと思った国に裏切られた過去を決して忘れることはできない。ウクライナの惨状を見て、ロシア人の怖さを再認識し、安全保障体制を一段と充実させるはずです。

 上の写真は、桜満開時の横浜・大岡川べり。