つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「愛国」という言葉のイメージを変える時

 その昔、小生が学生だったころ、東京・西銀座の交番近くで日本愛国党の赤尾敏という党首(総裁)がほぼ毎日のように街頭演説をしていました。愛国党は社会党委員長の浅沼稲次郎日比谷公会堂の演説中に刺殺した少年も党員だったこともあって、どうも右翼のテロリスト集団と見られていたように思います。当時の小生の思想からすると、内容はちっとも受け入れられないものでした。ただ、日の丸を持ち,禿げた頭を振りながら大声で熱を込めて話す赤尾氏の演説風景は何か魅了するところがあったので、しばらく立ち止まって聞き入ったことがありました。

 何を言いたいのかというと、学生当時「愛国」という言葉は浅沼テロ事件を連想し、どうも右翼の暴力、テロルの匂いがするいかがわしいイメージだったのです。その後、中国を取材対象にするようになり、北京に赴任してみると、かの国も「愛国、愛党、愛社会主義」などという形で共産党へのシンパシーを強要していました。それで、さらにいかがわしさを感じるようになりました。愛国というのは民主主義とはなじまない言葉なのだという思いが固定化してしまいました。

 ところが、今回のウクライナの戦争を見て、しみじみ愛国心は必要なんだと思うようになりました。ドラスチックな心の変化です。隣国から戦車と航空機による電撃作戦で祖国を踏みにじられ、破壊され、占領地では略奪とレイプを受ける。そんなことをされて、黙って見てられるか。その国の男子は「俺は関係ないから」などと思い、すごすごと国を離れられるのか。

 ウクライナ政府は、18歳から65歳までの男子に対し、国内にとどまって防衛戦争に立ち上がるよう命令しました。形は強要と言えば強要ですが、ただ、人間の自然な感情として、自分の生まれ育った地が他国人に蹂躙されれば、憤り、許せないでしょう。ですから、ほとんどの人は自由な意志で国に残り、戦いに参加したのだと思います。愛国は強要されるものでなく、自然の感情です。

 今、ウクライナ人の男子、いや一部の女子も含めて銃を持って必死に祖国を守り、ロシア軍を押し返そうとしています。その心意気や、素晴らしいと思います。ウクライナ軍が占領地を解放したあと、テレビの映像で、農民の女性が大地に跪いて「おお我が祖国。自分の土地だ」と言って泣き崩れていました。これらは崇高な愛郷心愛国心にほかなりません。ですから、これまで小生も含めて日本人一般が抱いていた「愛国」という言葉への間違った印象を捨てるべきでしょう。

 日本も他人事ではありません。現状変更を試みて、南西諸島の島嶼を奪いに来ている国があります。これを跳ね返すためには、愛国の意識を持って、一歩でも侵略者に祖国の土地を踏ませないという強い決意と態度を示さなければならないのです。ウクライナの戦争を見て、日本人が見倣うべきはあのマリウポリの製鉄所を決死に守り抜こうとするアゾフ大隊の覚悟です。ネットなどではアゾフ大隊はネオナチだとか何とか中傷する記事も見られますが、同大隊はナチのように他国に攻め入る侵略軍ではない。要は、祖国を守り抜く軍隊である限りわれわれは尊敬に値する軍隊だと思います。

 上の写真は、横浜関内駅近くの花屋さん、街中で見かけた花。美しいのに、残念ながら花名を知らず。