つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

統一教会攻撃は現代の魔女狩りではないか

  安倍元首相の暗殺で安倍氏を悼むムードが高まるのかと思えば、今、ワイドショーなどで取り上げられるのは統一教会と安倍、自民党との付き合いや国葬の是非の話ばかり。中には、犯人の山上なる男には、いかがわしい邪教に反対するという純粋な犯行動機があるのだから、減刑も然るべきなどという論調も出ています。このメデイア、ワイドショーの流れっておかしくないですか。安倍氏は少なくとも計8年以上総理を務めた人ですよ、彼が自民党総裁として戦った国政選挙はことごとく勝っている。それなのに、統一教会の集会に出ていた安倍は飛んでもないやつ、悪の根源みたいな取り上げ方は何か間違っていると思います。

 また、安倍事件を契機に必要以上に統一教会を悪者にするのも問題ではないかと小生は思っています。小生はもともと暴対法など結社の自由を侵すような法律にも疑問を持っていますが、同様に、だれか世間のリーダー的な存在、今の日本で言えばマスメディア、そこに出てくる評論家などが「あいつは悪い。付き合うべきでない」などと言うと、みんながそれになびき一斉に攻撃したり、村八分にしたりします。大声を出して誰かをスケープゴートにし、血祭りに上げるのは、子供の世界のいじめに通じるようで良い気分はしません。

 欧州の中世期末15世紀ごろ、魔術を使って世間を惑わせたという理由で多くの男女が捉えられ、法的な、公的なプロセスを経ないで私刑に遭ったことがありました。いわゆる魔女狩りというやつです。大衆扇動によるいじめです。なんだか、統一教会攻撃というのはこの魔女狩りに通じるものがあり、小生は気味悪さを感じます。確かに、統一教会霊感商法や信者へ執拗な献金要請があったのでしょう。でも、これは物理的に物を奪う強盗とは違います。催眠にかかっているかどうかは別にして、あくまで金を出す信者の方は納得しているのです。

 催眠状態にすること自体問題だと言うのでしたら、こちらも反論の余地はありませんが、少なくとも催眠は表向き法的に処断することはできません。あくまで信者の自発的な行為ということになります。日本国憲法が信教の自由を認めているのなら、信者の自発的な行為を縛るような過度な介入はやめるべきです。宗教への帰依、そして献金という一連の流れは別段統一教会に限ったことではありません。

 仏教系、キリスト教系、神道系の古典的な宗教、そこから派生した新興宗教生長の家などの古典宗教統合の新宗教、どこの団体にも献金はあるでしょう。公明党の支持母体創価学会だって「財務」という日を設定して献金を促しています。信者から集金しないとこれらの組織は成り立たないのですから、当然と言えば当然のことです。今のマスメディアは、この信者の献金をあたかも強奪されたように決めつけていますが、それっておかしいと思います。

 献金によって心の安寧が得られるのなら、信者にとってはそれはそれで安い”投資”ということになりましょう。小生のような無神論者は「そんな金を出してばかばかしい」と思いますが、個々人それぞれに自由な考えがあっていい。形而上的なことに他人がとやかく口を挟むべきではないのです。「信じる者は救われる」のですから。統一教会は「危ない団体だ」と言う人が多いけれど、少なくともオウム真理教のように暴力を行使して世の中を変えるとまでは考えていないでしょう。であるなら、魔女狩り的にならず、もう少しゆったりとした目で見てあげてもいいのかなと思います。

 上の写真は、京都駅近くにあるリッチモンドホテルの中庭。