つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

安倍派の状況は、頼朝亡き後の鎌倉御家人団

 今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は掛け値なしに面白い。三谷幸喜さんの大河作品はこれまで新選組真田幸村でもありましたが、過去の2本以上に際立っています。それは、源頼朝死去後の権力闘争を題材にしているからでしょうか。三谷氏は権力闘争を描くのが好きで、得意なようです。「清須会議」という三谷さんの小説、脚本の映画もありました。秀吉が光秀を打ち破った後、信長の家臣たちが清州城に集まり、後継者を決める会議を描いたストーリーですが、これも権力闘争を背景にしていました。

 小生、正直、鎌倉時代はそれほど興味がなかったのです。が、今回の作品を契機にユーチューブでさまざまな解説動画が出てきて、それも見ているので、興味が嫌が上にも増していきました。頼朝亡き後、13人の中で真っ先に葬られたのは梶原景時。彼は石橋山の戦いで敗れた頼朝を追走して見つけたのに、敢えて見逃したことで、のちに頼朝に強く信頼されて第一の家臣になっています。絶体絶命のピンチから救うことは、どの時代でも強い信頼のベースになるのでしょうか。

 頼朝死去後、鎌倉の御家人団のうち千葉常胤(13人には入らず)が死に、13人の一人でもある三浦義澄も死にます。で、鎌倉御家人団は武蔵を領地とする比企一族と伊豆を本拠とする北条一族の対立となります。比企能員の強みは2代将軍頼家の乳人となり、娘を頼家の側室に付け、長男を設けていること。一方、北条側の強みは頼家の母親が政子であり、権力の中枢に叔父の義時がいること。結局、両雄並び立たずで北条時政比企能員を自宅に招き、謀殺してしまうのです。これで圧倒的に鎌倉での北条支配が強まり、将軍は名ばかりとなり、執権が実質的に最大の力を持つことになります。

 で、北条家内でも北条一族であった畠山重忠が滅ばされ、時政、義時の親子がいがみ合い、義時は父親を追放してしまいます。そのあと、侍所の別当であった和田義盛もささいなことで文句を付けられ、義時に攻められています。13人のうち残るは文官だけで、北条家が得宗家という形で世襲で権力を引き継ぐことになりました。現時点でのテレビの大河ドラマは、梶原景時の事件が終わり、来週は頼朝の異母弟である阿野全成が「頼家を呪詛した」罪で頼家に追放されるところが描かれそうです。

 全成は頼家の叔父に当たるばかりでなく、実弟実朝の乳人であり、頼家にとって権力を奪いかねないうっとうしい存在だったのでしょう。つまらぬいちゃんもんを付けられ、常陸の国に流され、その後に誅殺されています。全成の妻が阿波局であったことから、北条側は激怒。結局、反撃に出て、頼家を伊豆に配流してしまいます。比企という後ろ盾を失い、実働部隊を持たぬ将軍の末路も哀れです。北条家と三浦家は仲が良かったのですが、第5代執権時頼の代になるとこの両者も対立、三浦も滅ぼされました。三谷脚本は御家人団の権力闘争をどこまで描くのは分かりませんが、毎回期待を持たせることは間違いありません。

 頼朝のように権力者が若くして突然死すると、権力に空白が生じ、実質支配者は一本化できません。それとよく似た状況が今の自民党安倍派にあります。安倍氏自身はかつて自派の有力後継者として松野、萩生田、西村、世耕などの名を挙げていましたが、本心かどうだったか。第一、死去時は67歳であり、後継者を決めるのはまだ当分先だと思っていたでしょうから。永田町の事情通によれば、安倍派は今、引退した森喜朗元首相が仕切っており、彼の意思が大きな決定力を持つということで、メディアの記者は今、森の動向に注目しているとのこと。

 鎌倉時代や、どこかの独裁国のようなライバルを殺してのし上がるようなことは今の日本にありませんが、安倍派の有力者はすでにかなり多数派工作を進めているそうな。まあ、結構辛らつな権力闘争が展開されています。あるメディア関係者によれば、最終的に萩生田と西村の対立になり、派は割れていくのではないかと見られています。

 上の写真は、京都高瀬川沿いにあるバーの風景。西洋式に結構立ち飲みが増えている。