つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

もうしばらくの辛抱だ、ヘルソン市民!!

 ウクライナ軍本隊がヘルソン市に入ったことは、本当に喜ばしい事態です。最初に特殊部隊が入ったようですが、この時にはまだ市民はまだ疑心暗鬼で、喜びようも満身という感じではなかったのですが、本隊が来たころには同胞の解放軍が戻ってきたと実感したようで、ものすごい喜び様になりました。兵隊が花を持って近づいてくる年寄りを抱きしめたり、ウクライナ国旗を持って高いところに登ったりすると、市民は徐々に実感したようです。

 ある少女は喜びのあまり、すでに何人かと抱き合っている兵士に近づき、「私も抱きしめてもいいですか」と呼びかけているのを見て、小生、久しぶりにもらい泣きしてしまいました。解放軍と侵略軍の違い。数か月にわたってロシアの圧政に苦しめられ、場合によっては略奪、拷問、レイプもありうる期間でした。同胞の解放軍がやって来てその恐怖の時期が去り、心から喜ぶ少女の姿に同情し、感動したのです。

 われわれ戦後生まれは経験がないけど、侵略戦争から解放されたときとはそういうものなんでしょうね。ですから、絶対に戦前のように支配のために外国に軍靴を踏み入れてはならず、また逆に他国に侵され、凌辱の日々を送ってはならないということです。日本にはなぜかまだ「水と空気はただ」と思う安全神話が幅を利かせ、非武装中立、防衛費削減などということを喧伝している政党もいますが、ウクライナの現実を見ると、そうじゃない、われわれは断固とした安全保障策を講じなければならないとしみじみ思います。

 ところで、ヘルソン市ですが、まだドニエプル川対岸の市域は解放されていません。ロシア軍が依然占領しているのであって、そこから解放された地域に砲撃してくることも十分考えられます。また、ロシア軍はヘルソン占領地を去るに当たって、解放軍を脅かすため、建物に仕掛け爆弾を置いたり、道路などに地雷を埋設したりして苦しめることもあるでしょう。という意味では、市民はまだ安心できるものではありません。ロシアは生活インフラ施設をぶち壊していったので、電気、水、暖房系統もまだ行き渡らないでしょう。

 ウクライナはもはや零度近い気温。東京、横浜では真冬のような零度台の気温の中で暖房を欠くのは大変だと思います。それに引き換え、まだ20度近いにもかかわらず、すでに暖房を付けている小生ら日本人からすると申し訳ない気がします、ごめんなさい。でも、死や暴行の恐怖が去っただけでも良かった。もうしばらくの辛抱です。寒さは厚着で防げますが、死や暴行の恐怖は占領軍がいる限り、何もしても防げません。無事でいることをただ、神にお祈りするだけですから。

 われわれは今、ウクライナ人民の強靭性がもう少しだけ続くよう祈りたいと思います。もう少しだ、頑張れウクライナ。日本人はずっと味方でいるし、バックアップしますから。

 上に写真は、伊豆・下田で見た風景。下の方は横浜・石川町を散歩していた時に見た他人の家の玄関の風景。鳥がマスクしているのが可愛い。塀越しですが、勝手に写して申し訳ないです。