つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

少子化、異次元の対策というなら発想の転換を

 いやー寒い、実に寒い。今朝は今冬一番の寒さでしょうね。夜中横になりながら1時過ぎまで本を読んでいたので、本来なら8時過ぎまで寝たいところですが、どういうわけか7時半ごろまでには尿意を催し、目を覚ましてしまう。トイレに行って二度寝しようとしても、もう受け付けない。布団に入ってもまどろむだけです。なら、いっそのこと起きてしまえとばかりに起き出します。いつもなら、室内の温度が20度前後なのですが、今朝に限っては18度と低い。やはり寒さもゆったりした睡眠を与えない原因の一つなのでしょうか。

 尿意で朝起きというのは別段老人に限ったことではありませんが、でも老人になるとなぜか判で押したように毎朝同じ時間に目を覚まします。客観的に見れば、規則正しい生活ということになるのでしょうが、どうも天下の自由人からすると、この規則性が気に入らないのです。で、夜正味6時間程度の睡眠なので、もちろん昼間仕事で原稿を書いていると突然激しい睡魔が襲ってきます。睡魔が来ると、頭が回らず、仕事にならないので、椅子に座りながらも出窓の上に足を載せて本格的に寝入ってしまいます。この昼寝はなんと気持ち良く、贅沢感が味わえることか。

 老人話のついでにもう一つ。最近、スーパーで買い物したあと、レジ袋に品物を入れようとしても、袋がくっつくいたまま開かないことが多くなりました。要は、指先がつるつるで、袋をめくることができなくなったのです。指紋が取れたのか、それとも手の油がなくなったのか。昔は手がべとべとするくらいに手に油汗が出て他人にいやがられるほどでしたが、老人になるとこの油がなくなってしまうんですね。歳を重ねると体が乾燥状態になると言われていますが、小生もこの経験で老齢化を実感しなくてはならないのかも知れません。

 閑話休題。岸田首相は先の通常国会冒頭の施政方針演説で、「異次元の少子化対策を行う」と宣言しました。それは結構ですが、まだ具体的な方策が出てきていません。異次元というなら、根底から発想を変えなくてはなりません。つまり、子供は家族で育てるという発想でなく、社会全体で育てるというように。実は、「社会全体で」という発想はこれまでも自民党内で思案されたそうですが、古典的な家制度にこだわる人が多い自民党内で激しい反対にあったそうです。

 小生は、当然「社会全体で」という発想に賛成です。出生率を高めるには、既婚、しかも法律的な夫婦でという発想にこだわるべきでないと思います。未婚者であっても、生まれた子供はしっかりと社会全体で面倒見る。未婚の女性に子供がいて次のステージに行くことに困ることがあれば、その子供を施設で預かるようなシステムを講じるべきです。子供は将来生産活動に参加し、年金財源に寄与する貴重な戦力という観点に立つなら、子供は「優良資産」なのです。大事に扱うべきです。

 子供手当、一人当たりいくら支給などという方策は所詮家庭での育児を前提にものを考えているだけで、古い発想。そうではなく、異次元の対策というなら、「まず社会全体で面倒みます。実際の親はいくら出せますか」というくらいの発想の転換が必要かと思います。目的税的に完全に子供養育費に限って消費税を取るくらいのことを考えてもいいかと思います。日本と同じように先進国であるフランスやドイツでは近年出生率が反転上昇傾向にありますが、これは法律婚にこだわらない対策を講じているからだと思います。日本も真似すべきです。

 上の写真は、1月3日の桜木町の寄席「にぎわい座」の風景。年頭の寄席鑑賞、そのあと飲み友との一杯が恒例となりました。今年は寄席の隣の河豚屋に入りました。