つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

日本最西端の島「与那国」に行ってきました

 14日早朝から今日18日夜まで、沖縄、与那国島に行ってきました。沖縄はもう何度も行っているのですが、今回は日本最西端の与那国島がメーンターゲット。昨年のペロシ米下院議長訪台の折、中国は5発のミサイルを与那国島周辺のEEZ海域に撃ち込みました。で、日本の安全保障上同島が俄然注目されたので、どんな島が見たくなったのです。結論的に言えば、野生馬の馬糞が方々に散らばる非常に長閑な島でした。自衛隊の駐屯地も町役場にも行きましたが、それほど緊張は伝わって来ませんでした。

 与那国島へは那覇から一日一便しかないのです。それも一列4座の小型コミューター機で、乗客数はマックス50人ほど。それもさもありなん、人口は約1600人とのこと。ですが、座席は満員。昨今、ドクターコトーとかいうドラマで人気が出たせいか、行きたがる観光客が多いんだそうです。空港にも吉岡秀隆君の大きなポスターが張ってありました。空港はちょうど島の中心地・租納と西端集落・久部良のちょうど真ん中にあるので、小生らは久部良集落の民宿に予約を入れてありました。

 民宿はやはりいろいろな人が泊まるから、人間観察上でも面白い。好奇心旺盛な小生としては、なぜ与那国に来たかという点を聞くだけでも興味が持てるのです。やはり、若者が多い。スキューバーダイビング、釣り目的というのがほとんどですが、中には一日中外に出ず、大部屋でPCに向かっている人がいる。聞くと、ここに2週間いる予定で、リモートワーク(RW)をしているとのこと。RWなら何も与那国まで来なくともいいと思うけど…。

 なにしろ、民宿では食事は出ないし、近くにレストランもない。自分で作るか、それとも集落の呑み屋に行き、食べ物にありつくかの状態なのです。われわれは一泊だけだったので、呑み屋で食べましたが、RWの彼はどうしてたんだろう。彼は最初の3,4日は自転車やオートバイを借りて島めぐりをしたそうです。でも、結局、それで島内を見尽くして結局民宿に籠り切りのようです。それなら、なおさら与那国でなくとも良かったのでは。ただ、「今日、妻が合流するんだ」と言ってウキウキしていましたが…。

 それはともかく、小生らも自転車を借りて島めぐりしました。最初は日本最西端の岬、さらに自衛隊駐屯地に行き、「記者だ」と言ったら、門前に二等陸尉が出てきて、少しだけ話が聞けました。そのあと、3時ごろ、南部の比川集落へ。腹が減ったので、沖縄そば屋に入りました。聞くと、「お客さんたちはラッキーです。島内で2時過ぎに開いている食べ物屋はうちだけなんです」というのです。楓食堂とか言いました。確かに、道路上にコンビニもない、店もない。昼の空便で昼食なしだったので、ここで食えなかったら、夜の呑み屋までなかったのです。

 で、ここでも記者根性が頭をもたげます。店のおばさんにいろいろ事情を聞いて、話し込んでしまいました。すると、おばさんは驚くことに、「私はずっと東京の杉並に住んでいて会社勤めしていた。数年前に定年になったので生まれ故郷に戻ってきた。今でも杉並に息子がいるので、しょっちゅう行くよ」と言うのです。こんな日本最西端の、しかも小集落の飲食店のおばさんがちょくちょく東京に出ているとは。確かに、小生らも14日朝8時過ぎの便で羽田を出て那覇経由で与那国に来ました。半日で最西端まで来て、午後に島めぐりをしているのです。日本は実に狭い!?

 その比川集落から峠越えして(自転車ではこれが大変)北部の租納に出ました。町役場があるので、ちょっと寄ってみました。酔狂な旅行者の訪問にけんもほろろかなと思ったのですが、6時近くに役場に残っていた男女2人の職員が親切にもわれわれに対応してくれ、しかもいろいろ質問に答えてくれました。ざっくばらんに言えば、中国ミサイルの着弾にも緊張感はなかったようです。そう確かに、緊張感ばかりで暮らしていては体が持ちませんから。人間やはり生死の危険が間近に迫らない限り、そういうものかも知れません。で、長くなるので、与那国島話はまた次の機会に。

 上の写真は、最西端の岬に建っている碑の前での小生。下の方は岬から比川に行く道路上で見た野生馬。賢いことに、ゆっくり移動するときには歩道を通っている。でも、ギャロップする時にはちゃんと車道を走るんです。これには驚きました。