つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

WBCチームの結束力の源は稲作文化の集団性

 上野公園の桜が満開というニュースが流れたので、今日夕、執筆の仕事を終えた後、自宅近くの横浜・野毛界隈を流れる大岡川の桜を見に行きました。残念ながら、ここではまだ満開とはなっておらず、左岸ではかなり花が開いているものの、右岸ではまだ蕾が多かった。満開とは言えませんが、それでも缶酎ハイを持って独りほろ酔い気分で桜の下を歩いていると、春たけなわの暖かさを感じ、気分は爽快です。WBCも日本の優勝で終わったので、尚のこと。「嬉しい」「心地良い」という表現は中国語で「開心(kaixin)」と言いますが、まさに心が開放(解放?)された状態になりました。

 WBCは予選ラウンドを含めてすべて見てしまいました。東京ドームで行われたイタリアとの準々決勝の時はちょうど沖縄にいたのですが、やはり早めに食事を終え、ホテルの自室でずっと見ていました。日本チームの良さは結束力、またそれを醸成させるリーダー的な存在の人がいるということでしょうか。今回その雰囲気を作ったのは最年長のダルビッシュ有君で、彼が身銭を切って食事会を開いたり、変化球の投げ方を伝授したりといろいろ気を遣ったようなことがテレビで紹介されていました。

 やはり、もともと日本人にある集団性、まとまる力というのは半端ない。WBC日本チームに初めて日本語がほとんど話せないハーフの選手が入ったが、そのラーズ・ヌートバー君に対し、チームの仲間全員が排他的にならず、「たっちゃん」などという母方の祖父の名前を呼んで、歓迎しました。こうしたムード作りは団体競技には絶対必要でしょうね。日本はもともと稲作文化ですから、集団で作業することに慣れている。そのために、人々が一つの目的のためにどうかかわったらいいのかということを自然に会得しているのかも知れません。

 それに比べて、中国人は陸上競技、体操、卓球、バドミントンなど個人技を競うスポーツは強いけど、団体でやるスポーツ、例えば、サッカー、バスケット、ラグビー、野球などはなぜか弱い。良い言葉で言えば、個人主義が徹底した国民性ということなのでしょうが、悪く言えば、協調性がないということ。それは、小生がそう見ているのではなく、知り合いの中国人も「団体競技は苦手」と指摘していました。民族的な特性というのは、案外その民族一人ひとりが実感していることかも知れません。

 集団性ある民族ならば、仲間を裏切ったり、傷つけたりすることはなるべく避ける。最近、トルコで地震があった時に災害地では略奪行為もあったとのニュースが流れましたが、日本では3・11でも略奪行為があったなどと聞こえてこないし、まず常識的に考えられない。食事や水の配給でも、我先にということは避けて列に並び、相互扶助に徹します。これも日本の素晴らしさだと思うし、そうした稲作文化の伝統的な集団性が今回のWBCチームの結束力にもつながっているように思えてなりません。

 それはともかく、日本チームが米国の一流選手を集めたチームを打ち破ったことで、日本野球のレベル、選手の質の高さが改めて米国内で再認識されたと思います。とりわけ佐々木朗希、伊藤大海、宇田川優希、高橋宏斗、大勢ら若手ピッチャー陣は高く評価されたものと見られます。彼らはしばらくして、ポスティングシステムを使ってメジャーリーグに移るでしょう。それはそれで日本選手の活躍の場が広がるんですから、われわれは温かく送り出してあげたいものです。

 上の写真は、沖縄・糸満市のショッピングセンターで見たブーゲンビリア。南国の花の中では小生が一番好きな花。