つれづれなるままに-日暮日記

現世の神羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

自粛警察あれば自粛破りもありで、人それぞれ

 先週の土曜日、香港時代の山仲間5人が、そのうちの一人の自宅に集まって酒盛りをしました。このメンバーでは、オンライン飲み会のツール「たくのむ」を使って”宴会”を開いたこともあったのですが、オンラインでは今いち意思疎通に問題があり、気分が乗らず、不満足なままで終わりました。そこで、先週末はまだ非常事態宣言の期間中でありながらも、個人宅ならいいだろうということで集まりました。三密を作ったことに変わりなく、その点はご容赦いただきたいが、やはり、直にツラを突き合わせて飲む酒の方がオンラインより楽しい。それを改めて実感しました。

 この席上、メンバーから聞いた話なのですが、世間には「自粛警察」なるもの本当に存在するんですね。彼が街中でマスクをしていないで歩いていたら、前から歩いてきた見ず知らずの男性がいきなり指で顔を差し、言葉は発しないながら、「お前はなぜ外に出る時にマスクをしないんだ」という素振りだったというのです。この指差し男性は何を思って、何の目的でこんなことをするのか。まったくの善意か、公憤か。それとも、単に面白おかしくてやっているだけか、真意が分からない。

 満員電車でもないのですから、非マスクマンを危ないと感じるのなら、本人がそばに寄らなければ済む話であり、なにもわざわざ指摘しなくても良いこと。路上のマスク着用はあくまで個人の自由、現時点の日本では法的に義務化されていないのだから、正々堂々と追及することはできないはずです。夜間にほとんど車が走っていない横断歩道が赤になっている時、小生なら左右をよく見て渡ってしまうけど、こんな時にも「赤信号横断は止めろ」と叫ぶ御仁もいて、これにちょっと似ています。でも、赤信号横断ならまだ道交法違反なので指摘は正当かも知れませんが、非マスクマンへの注意は、はっきり言って余計なお世話でしょう。

 テレビのワイドショーを見ていると、世間が自粛している時にレストランや居酒屋で店を開いているところがあると、わざわざ電話したり、深夜にその店に行って「止めろ。宣言期間を守れ」と入り口に張り紙をする人がいるそうな。張り紙する本人と店とは何の利害関係がないと思われるので、異常な干渉です。公園の砂場などで子供が遊んでいると、そこに異質物を投げ込んで使えないようにする人もいるとのこと。これも実行者には一銭の得にもならない、くたびれ儲け、自己満足の「自粛警察」行為です。それほど”悪”退治に使命感を感じているのか、それとも他人をいたぶるのが楽しいだけなのか。

 私人による過度の自粛警察もいれば、逆に公的な自粛要請を徹底的に無視するところもありました。例の最後まで自粛要請に応じなかったパチンコ店。自治体は最後は店名公開に踏み切りましたが、それにも動ぜず、「悪名もむしろ宣伝」とうそぶき、喜ぶ店もあったとか。世の中いろいろです。店側は「日銭が欲しい」ということで営業を止められない事情があるのかも知れません。だが、博打に興味ない小生からすると、滑稽に見えて理解できなかったのは、そういう店にわざわざ他県から来て、早朝から列をなして遊ぼうとする人たちです。

 たかがパチンコ、そんなに面白いのか、自粛が言われている中、自動車を飛ばしてきて、並んでまで遊ぶ値打ちがあるものかと思うけど、これも人それぞれの趣味の問題なんでしょうね。強制力がありませんから、「カラスの勝手でしょう」と言われてしまえば、返す言葉がありません。で、今日から非常事態宣言が全国的に解除されて、自粛状況がなくなりました。解除されたからといっても、周辺にコロナウイルスがいることに変わりない。われわれは神経質にもならず、開放的にもならず、それなりの注意をもって長くコロナと共存し、生活していくしかありません。

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 上の写真は、伊勢佐木町モール近くの福富町にある朝鮮焼き肉店前頭で、寄付金集めをしているカエルの飾り物。

黒川検事長のマージャン事件には裏がありそう

 今回の黒川弘務東京高検検事長の事件で、小生が面白いなと思ったのは、記者たちが取材先の人を巻き込んでいまだに”古典的な”ゲームであるマージャンをしていた点。1970年代から記者をやっている人間からすると、マージャン、花札(こいこい)は普通の博打で、記者クラブ内などにマージャン台があり、記者同士でよくやっていました。ですが、さすがに90年代くらいになると、記者クラブでの博打はなくなってきた感があったので、21世紀は残っていないと思っていました。

 これは、会社の監視がきつくなり、記者クラブでマージャンなどできない状況になってきたからか。あるいは、マージャンなどよりもっと面白いゲームが数多く出てきたためか。特にパソコンが普及し、PC上のゲームが出てきてそういう傾向が強まりました。昔、大学の周りには雀荘がゴマンとあったのに、今はほとんどない。21世紀に入って大学で教えていると、マージャンのルールを知らない学生がかなりいたので、驚いた記憶があります。マージャンは大学生とは程遠い存在になってしまったのです。

 黒川検事長とマージャンをやっていたのは、記者クラブのマージャン台を知っている最後の世代の記者たちでしょうね。それにしても、「10万円負けたこともある」とある記者が告発しているところを見ると、掛け金はかなりの高レートのよう。恐らく、1000点100円のピンをベースに、ドラを増やしたり、馬を付けたりのインフレレートでやっていたのでしょう。一晩に通常で4、5万円、下手打つと10万円になるというのであれば、小生などとても手が出せるレートではありません。

 それはともかく、テレビのワイドショーで再三触れているので、もう耳タコの嫌いがありますが、刑法で人を裁く権限を持つ人間が仲間内とはいえ、賭博罪という刑法罪を犯したことは許されない。他人に厳しく接する人間は自分にも厳しくあるべきです。取材上の付き合いがあるので”記者も身内”と考えたのか、あるいは自分も同罪と認識する記者たちが間違っても漏らすわけがないと思ったからか、ちょっと甘えがあったように思います。それこそ年一回程度のものなら、付き合い上で許される範囲でしょうが、年間100回以上やっていたというのでは、これはもはや立派な常習賭博の開帳です。

 マージャンに参加した記者がハイヤーの運転手に「黒川氏に意図的に負けてあげることもある」と吐露していたとか。これって、巷間言われているところの接待マージャンでしょう。取材上で世話になっている公官庁の職員を機嫌よくさせるために意図的に負けて金を払うとしたら、これは賭博どころでなく、贈収賄事になるかも。少なくとも、公務員倫理関係の法律には抵触します。小生的はさらに、このマージャンの席で黒川から重要なネタをもらったとしたら、メディア企業は記者に取材経費を出すんだろうかというつまらないことまで考えてしまいました。

 この事件で次に面白いなと感じたのは、黒川検事長のマージャンの相手をしていたのが朝日新聞1人と産経新聞2人の記者という点。このメンツは黒川氏のご指名なのかどうか。本来なら、左右両極端のメディアで、いつもは紙面上でいがみ合っている会社の記者同士が呉越同舟し、仲良く黒川氏の機嫌を取っている姿は意外です。メディアのスタンスが違うので、末端の記者同士もいがみ合い、付き合うことはないとは言い切れませんが、この業界に首を突っ込んでいた者からすると、ちょっと想像しにくい。 

 長年、密室でやっていて、ずっとばれてなかったマージャン賭博を明かしたのが産経の記者だったとのこと。これも謎。長年付き合ってきた黒川氏との特別な関係、社会部記者にとって高検検事長と親しく話ができる”好ましい”状況を敢えて切ってまで、なぜ週刊文春の暴露記事制作に協力したのか。なぜこの時期なのか。永田町も巻き込んで、複雑に絡み合った裏事情もありそうで、ぜひ知りたいところ。文春の続報に期待します。

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 上の写真は、みなとみらい地区にできた横浜市の新しい市庁舎わきからランドマークタワーを見たところ。

医療関係者にできるなら、自衛隊員にも

 今、世間では医療関係者に感謝しようというメッセージが多く見られます。テレビのワイドショーなどでは、わざわざ画面の片隅にずっとそういう言葉を掲げています。なるほど、新型コロナウイルスに対して懸命に努力されている医療従事者に感謝するのは当然でしょう。本当にありがとうございます。感謝申し上げます。でも、これを見るにつけ、しみじみ思うのですが、毎年訪れる自然災害、特に大雨や台風、地震の時に自衛隊が出動、支援に向かいますが、でも、彼らに対し感謝するというメッセージはあまり見られません。ちょっと片落ちの感じがしてなりません。

 小生は記者をしていた時に何度も災害現場での取材を命じられたことがありましたが、今でも思い出す若い時の鮮烈な記憶があります。南伊豆で地震被害があった時のことです。がけ崩れがあって、下の民家が下敷きになりました。自衛隊がそれを懸命に掘り進み、ほぼ一昼夜かかって掘り起こし、こたつの上に突っ伏したままの女性の遺体に遭遇したのです。隊員はそれを丹念に引き上げ、担架に積み、運び出しました。

 それは当然として、その遺体が運ばれる寸前、ずっと頑張って掘り進んでいた隊員たちが急に直立不動の姿勢を取り、「英霊に敬礼」と叫んで、遺体に向かって挙手の礼をするのです。彼らこそ本当に疲れていたと思うけど、死者に対し敬意を表したのです。小生、これを見て感動しました。自衛隊員を尊敬する気になりました。3・11の東日本大震災の時にも、何度も同じような情景があったと思うけど、自衛隊員はそうした敬意は表していたと思います。

 多分多くの人は、自衛隊員は仕事でやっているから当然と思っているでしょう。でも、医療関係者も仕事です。いずれも給料は出ます。大変さも医療関係者に負けないでしょう。それでも、テレビで自衛隊隊員に感謝なんてメッセージを見たことがありません。実に、あまり感謝されないんですね。中には、駐車スペースの関係でやむなく自衛隊の車両が小中学校の校庭に運び込まれることもありますが、それに対し「人殺しの集団のものは学校に入れるな」などと叫ぶばかな輩もいるそうです。助けに来る人を悪しざまにいう人のさもしさ、いやらしさには反吐が出ます。

 3・11の時、歌手の長渕剛がわざわざ仙台かどこかに来て、自衛隊員を慰めるためだけに、彼らの前で演奏会を開きました。これを見て、小生は長渕の男気に感動しました。当時、さまざまな芸能人が被災地に来て、被災者のためにさまざな救援活動、慰労のイベントを開きましたが、被災地で苦労している自衛隊員のために来たのは彼一人です。彼は分かっている、自衛隊員の苦労が分かっていると思いました。

 今回、医療従事者に感謝する光景は日本に限らず、多くの国々で同じように見られました。英国やフランスでは決まった時間に皆窓を開け、外に向かって拍手する姿がありました。日本でも、ある自治体では正午に全員が起立し、拍手することをしていました。であるなら、今度、災害現場に自衛隊員が来たら、同じように一定の時間に感謝を表してもらえませんか。ぜひ感謝を表しましょう。

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 上の写真は、薄暮のみなとみらいの風景。小生の散歩コース。

オンライン飲み会も、楽しい

 今、世間では「外で酒が飲めないで、専らオンライン飲み会で」という人が多いでしょうね。実は、小生も最近、別々の集まりのグループでこれをやる機会が多いです。飲み会と言うよりダべリング。海外にいる仲間が参加するには時差の関係もあるので、酒を飲む時間ではない場合も。中国語でいうと網上茶会(ネット上でのお茶会)、因特網聊天(インターネット上のおしゃべり)かも知れません。

 使うアプリは、スマホではLINE。このアプリを使っている日本人は圧倒的に多く、友人はQRコードやふりふりでつながっているので、画面の電話マークをクリックしてビデオ通話というところを押すと、すぐに相手の顔が出てきます。これまでも2人だけの時に映像を見て会話するケースがままありましたが、新型コロナウイルス蔓延のこの事態を受けて以降、複数で話す形が増えました。いわゆるオンライン飲み会です。でも、スマホだと手に持ち続けなくてはならないので、ちょっと面倒。

 そこで、パソコンを使うことになるのですが、PCにもいろいろなアプリがありますね。小生は最初、だれかの勧めでZ00Mを使うことになりました。在米の中国人が開発したソフトと言われています。これの難点は人数、時間に制限があること。確か45分を過ぎると有料になります。そしたら、香港時代のアウトドアグループの仲間から「たくのむ」という簡単なオンライン飲み会サイトがあるよと知らせてきました。

 これはアプリのダウンロードが要らないんですね。誰かがホストになって独自のURLを作成し、そのURLを関係者に知らせて、決まった時間に、各参加者がPCの検索サイトの一番上の欄にそのURLを打ち込めば、会合に参加できます。確かに簡単。長い時間話しても無料というのが魅力で、しかも、参加人数は12人まで可能。よくもこんな便利な仕掛けをただで使わせてくれるものだと感心します。

 もっとも、「たくのむ」はブラウザが古いと駄目で、グーグルクロームFIREFOXマイクロソフト・エッジなどのブラウザを使うことが最低条件。小生はずっとエクスプローラーの古いブラウザ(初期画面はヤフージャパン一本やり)を使っていたので、最初にアクセスしたときにはつながりません。で、友人の指示でFIREFOXを導入したところ、OK。ブラウザも日進月歩しているんですね。

 このコロナ騒ぎの以前は、複数の友人が共通アプリを使って、PC画面上で集まり、話し合うなどというのはほとんど考慮していませんでした。やはり、友との語り合いは、居酒屋でツラを見ながら酒を飲むというのが当たり前だと思っていましたから。でもやってみると、それほど悪くない。というのは、居酒屋は酒を飲むことが前提となるけど、オンラインでは酒の飲めない人も簡単に参加でき、しかも居酒屋のような割り勘負けがない(笑)、現場まで行く交通費もかからない。

 時差を考慮すれば、世界中どこにいる人でも参加できるのも魅力的。遠くにいて普段話す機会などあり得ないと思っていた人と、傍にいるように話せることができることにも感動します。大勢の参加であれば、画面上で出入り自由、1、2人の中座も可能。さらに、居酒屋では、酒、つまみとも少なくとも同席者の同意がないと注文しにくいですが、オンラインだと勝手に好きなものが食べられるので、それもいいですね。

 敢えてオンライン飲み会の難点を言えば、PCのカメラは参加者の顔を映すので、寝起きで髪の毛が逆立ったままのようなぶさいくな状態では出られない。女性は特にそうでしょう。場合によっては化粧が必要かも。また、顔だけでなく、背景も映し出してしまうので、小生的には、拙宅のみすぼらしさが公開されてしまうのはちょっと困る感じ。さらに、居酒屋なら勝手に奔放にしゃべれるけど、自宅だと内人が近くにいるので、話す内容に制限がかかることも。

 というプラス、マイナスがありますが、やはり、多くの人がいったんこの仕掛けを知った以上、コロナ以降もすたれることはないんじゃないでしょうか。画面がもっと滑らかに動くといいんだけど。

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 上の写真は、友人と計4人で「たくのむ」を使ってテレビ会合をした時のもの。(上)顔の絵も入ったドーナッツ。オンラインでは、酒でなく、甘いものを食べてもいい。(下)

当たり前の日常生活の中に幸せがある

 先日、テレビのスポーツ番組を見ていた時のこと。今、あらゆるスポーツのイベントが行われていないため、ネタに困っているようで、楽天ゴールデンイーグルスが仙台の球場で久しぶりに屋外練習している風景を映していました。楽天ファンとしては、それはそれで良かったと思うと同時に、インタビューに応じた浅村栄斗選手が「青空の下、広いスタジアムで練習できたことが嬉しかった」と語っていたのが印象に残りました。

 彼は、今まで当たり前のようにできたこと、当然の行動、光景に喜びを感じたというのです。非常に価値ある言葉ですね。実は、日常的なこと、ルーティンの行動がずっとできること、その中にこそ幸せがあるのだということを再確認させてくれました。友人と連れ立って居酒屋で酒を飲むなんて、ごくごく日常的なことで、これまで別段幸せに感じたことなどなかったけど、ここ2カ月ほど、できなくなってみると、やはり素晴らしいことなんだと今さらながら感じます。

 ここで、改めてここ2カ月ほどの自粛要請問題に話題を換えます。日曜日朝の爆笑問題司会の討論番組にホリエモン堀江貴文氏が登場し、「自粛は必要ないんじゃないか。ウイルスは今後ずっとなくならないのだから、共生するしかない」と語っていました。これは、小生が前回のブログで書いた社会ダーウィン主義の考え方です。ホリエモンはもともと経済人ですから、疫学的な観点でなく、多分に経済的な視点からの発言かと思いますが、驚くことに、デーブ・スペクターら少なからずホリエモン説に同意を示すコメンテーターも出てきたのです。

 確かに、ウイルスはずっとなくならないし、感染のリスクがある以上自粛が必要、経済活動は止めるべしというのでは、われわれの社会生活は成り立ちませんね。では、だからと言って、一貫して自粛なしでいたとしたら、それは正しい選択か。小生はそうは思いません。というのは、感染者が増えれば、病院がいっぱいになって医療崩壊を起こします。感染してもみんな医者に行かないで、自宅で独力で治すというのであれば、自粛など必要なかったけど、市販の特効薬もなく、医者に頼るのであれば、医療崩壊状態は避けなければならないでしょう。

 「自粛は必要なかった」というホリエモンの言は、彼が幸いにも患者にならなかったが故のセリフであり、もし、彼が感染していたら今度は「病院に患者がいっぱいで、俺のベッドがない。世間全体が自粛していれば、こんな急激な患者増はなかったのに」と嘆いたに違いありません。なんでも、自分中心の見解はよろしくないと思います。

 それでも、小生は幾分ホリエモンの肩を持ちたいところもあります。あまりにも長い公的機関による自粛要請(と言っても事実上の強制)はうんざりです。経済活動ばかりでなく、すべてのことをアンダーマインします。精神に異常を来し、自殺者が増える恐れもあります。ですから、東京都の一日感染者がこのところ50人以下であり、医療崩壊も起きない状態と判断できるなら、そろそろ自粛は解除してもいいのではないでしょうか。

 日本人はもともと衛生観念が進んでおり、多分、自粛解除しても即マスクを外すような人はいないでしょう。解除宣言によって、感染者が爆発的に反転増加するとはだれも思いません。であれば、多くの人が普通の幸せを感じる日常生活に戻しましょうよ。コンサートもスポーツイベントもやってほしい、図書館、美術館、博物館なども開いてほしい。居酒屋で酒を酌み交わせる日々を戻してほしい。

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 上の写真は、日没間近の横浜・みなとみらい地区。普段なら、この芝生は多くのカップルが占拠するが、ここでは一組だけと寂しい。

英国などは社会ダーウィン主義で良かったのか

  今回の新型コロナウイルスで各国の感染者と死亡者を見ていると、国情や政策の違いが浮き上がってきます。死亡者が多いスペイン、イタリアは医療崩壊を起こしためで問題外ですが、英国、スウェーデンなどは、国内流行に対し明らかに”放任主義”的なところが見られます。米国のトランプ大統領も最初のころはそんな感じがありました。これは、疫病も社会現象であるのなら、これを乗り越えられるかどうかは個人の問題だとする、英国の学者ハーバート・スペンサーが唱えるところの「社会ダーウィン主義」の考え方が背景にあるように思えます。

 人口6600万人の英国は、5月7日現在で20万人以上の感染者で3万人以上死亡しています。2倍の人口を持つ日本の死亡者がわずかに550人程度であることからすると、極端な多さ。人口わずか1000万人強のスウェーデンでも感染者が2万4000人になり、死亡者は3000人にも達しそうな数です。日本人から見ると、「福祉国家と言われる両国なのに、なぜ」と思ってしまいますが、この両国はそれなりの考え方を持っていたのです。

 それは、英国、スウェーデン政府が”意図的”に国民に感染させて「集団免疫力(herd immunity)」を付けさせようと、外出禁止、都市封鎖などの極端な公的な防疫措置を取らなかったためです。この発想の原点は社会ダーウィン主義。つまり、歴史上いかなる社会、時代でも疫病、自然災害、戦争とさまざまなな厄災が続いてきたが、これらをうまく立ち回った人間だけが生き残ってきたのであって、それでいいんだということ。つまり、適者生存(survival of the fittist)の考え方です。

 「適者生存」はもともと無秩序な自然界のルール、知性や道徳性のある人間界でそんなものがあっていいのかと考えてしまいますが、自由放任主義(レッセ・フェール)は経済上に限らず、さまざまな面で支持する政治家が多いことも事実です。英国保守党政権もコロナ対策に当たりこの考え方を採用したのでしょう。ですが、この放任主義によって首相のジョンソン氏や閣僚までが感染し、仕事を休むという事態になったのはいささかお粗末でしたが、、。

 トランプ米大統領も当初この放任主義の考え方に共鳴していたようで、マスクの奨励もせず、商業活動も止めずという感じでした。その後、感染者、死亡者が急増したので、今秋の大統領選を考慮したのか、いささか規制に動き出しました。ですが、彼本来の考え方でないので、すぐに経済活動再開の方向に目を向けています。コロナ死亡者8500人を超えたブラジルのボルソナロ大統領は今でもその放任路線を続けています。スウェーデンは左派政権ながら、政策として断固「集団免疫力」を信じているようです。その結果、コロナによる死者3000人ですから、国民は今後、この政策をどう評価するのでしょうか。

 日本の安倍政権も、当初は経済活動への影響を考えて規制を躊躇した嫌いがありましたが、2月末から、学校休校などの措置に出て断固防疫重視の方向に舵を切りました。社会ダーウィン主義は取らないという姿勢です。強制力を持たないという法律的な枠はありましたが、それでも国民は共生のために自己規制に徹し、感染者を減らしました。1億3000万人弱の人口で死亡者550人程度に収まっているのは、ある意味素晴らしいことでは。もっと世界に誇っていいのかも知れません。

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 上の写真は、横浜・桜木町駅周辺で見た植垣の花。

「医療の安全保障」を考えるきっかけに

 国家の安全保障について、われわれが一般的に認識しているのは、軍事的なものです。つまり、他国が我が国を攻撃、侵略しようと軍事的な行動に出てきた場合、これを防ぐための軍事的な防衛措置を講じることです。ちなみに、昨今の日本は、集団的自衛権を一定範囲で認める方向になっているので、片務的でしかなかった日米安保条約は一部双務的になっています。ですから、必ずしも「我が国(だけを)を攻撃、侵略」という限定的な言葉が適当かどうかは分かりませんが、、。

 そういう軍事的な安全保障のほかに、「食糧安全保障」「エネルギー安全保障」などという概念もあります。日本の今の食糧自給率は、国民摂取のカロリーベースで見ると37%程度。つまり、6割以上の食糧は海外依存だということです。この中には主食に近い小麦のほか、日常的に食べる海産物、野菜、果物も含まれており、こうした物品が入ってこなくなると国民の食生活は大混乱に陥ります。ですから、独立国が他国の干渉なしに生き抜くためには、食べ物の多くを海外に頼るのは好ましくなく、一定程度の食糧は自国内で生産すべきだという考えが出てきます。

 エネルギーも然り。本来、エネルギーも過度に海外に頼ると、自国の主体性を失います。米国はそのことがよく分かっているので、石油の中東依存を止めてシェールガスを開発しました。ですが、残念ながら日本はずっと海外依存の状態を続けています。一時、海外依存から脱却すべく原子力に加えて自然エネルギーを増やそうとしましたが、福島第一原発事故原子力依存は駄目になり、この方向性は狂ってしまいました。

 自然エネルギーだけでは心許ないので、主体は今、専ら火力発電ですが、その燃料である石油はサウジアラビアクウェートなど、天然ガスはオーストラリア、カタール、マレーシア、ロシアなどと海外依存しています。エネルギー確保の状態って、皮肉なことに原発事故のせいで、4,50年前と基本的に変わっていないんですね。だから、輸入先の情勢は大いに関心があるところ。オーストラリアは準同盟国、マレーシアはまだ安心できる国ですが、中東、ロシアはどうですか。

 日本の原油の99%は海外から、その8割は中東依存ですが、ペルシャ湾、ホルムズ海峡はイランやサウジ、イスラエルの対立で絶えずきな臭い状態が続いており、原油輸送タンカーの安定確保の面で大いに問題があります。ロシアもあの専制的な体制からいって必ずしも安全な輸入先とは言えないでしょう。となると、日本のエネルギー安保というのは非常に危うい状態にあるんじゃないでしょうか。

 前置きが長くなりましたが、今回の本題に入ります。安全保障には軍事、食糧、エネルギーのほかに、「医療の安全保障」という概念もあり、昨今はこれがクローズアップされてきました。医師、看護師らのマンパワーばかりでなく、医療機器、医薬品を過度に海外に頼っていると、肝心な時に入手できないという不測の事態が生じるということです。今は世界的なパンデミックの状態にあり、一部の国では、その現実をまざまざと見せつけられてしまいました。

 端的な例を挙げれば、マスク、防護服。現在、ほとんど生産を中国など海外に頼っていたので、いざという時にストアで品不足になりました。中国でマスク生産している日本企業が、ではさっそく大量生産し、日本に緊急輸入だとばかりに息込んだところ、船積み直前で向こうの税関当局に「現時点でのマスク輸出はまかりならぬ」と言われ、できなくなってしまったとのこと。日本企業であっても海外で生産すると、そういう目に遭います。

 人工呼吸器は、日本で規制が厳しく多くは生産されていません。これまでの需要と供給のバランスを考えれば、それほど必要がなかったのかも知れませんが、こうした感染症の爆発的な大流行、拡大の時には絶対的に必要になってくるので、本来はそこまで考えて、一定の生産を確保しておくべきだったのではないか。人工肺装置ECMO、呼吸器を扱うマンパワーも不足とのことで、今後のことを考えれば、恒常的に医師への感染症対応の習得を義務付けていくべきだとも思います。

 武器、軍備は非常時に使うもので、普段は必要ないが、われわれはそれなりに備えている。同じように、パンデミックは突然、大規模でやってくるので、普段は必要ないが、いざという時に対応できるように、それなりの医療体制を整えておくべきだと思います。

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  上の写真は、もうすぐ一周忌を迎える愛犬マオ。