つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

侵略されるとは言語、文化、伝統が奪われること

 久しぶりに秋晴れの朝を迎えました。横浜は若干雲が残っていましたが、朝の散歩兼体操のために野毛山公園に出た時には太陽がさんさんと差してきました。本当に久しぶりの朝の陽光に思わず両手を開いて空に向かって自然、八百万の神に感謝と祈りを捧げました。実はこの週末、香港時代のハイキング仲間と日光、鬼怒川方面へハイキングと温泉を楽しみに行くので、本当に晴天はありがたい。まだ、紅葉には程遠いでしょうが、恐らくススキの戦場ヶ原は楽しめると思います。

 それはさておき、今、ウクライナ戦線ではウクライナ軍が盛り返しているとのこと。被侵略国が侵略者を追い出す状況になっていることは非常に素晴らしいし、われわれもも嬉しい。金輪際、侵略者ロシアに良い思いなどさせてはなりません。昨日夜のBS・TBSのニュース解説番組「19・30」にウクライナ・アゾフ旅団の司令官が出てきましたが、彼は「戦争で祖国が侵略されるというのは自らが支配するべき領土や家族を失うだけでなく、自らの文化、精神、伝統を失うことだ。だからたとえ犠牲者が出ても戦う以外に選択肢はない」と述べ、不屈のコザック精神を強調していました。

 小生もまったく同感し、ある意味彼の発言に感動しました。文化、精神、伝統、言語は民族、人間の血肉です。日本も80年以上前に他国に対し公用語を日本語にし、いささか文化、伝統を奪うような事態を招いたことがありましたが、これは本当に悲しむべき、憎むべき過去。逆に幸いなことに、太平洋戦争で負けても日本は天皇制という伝統、文化、言語を失うことはありませんでした。しかも、自由と民主主義を完全に勝ち取りました。

 でも歴史を見ると、地続きで他国と接する国々は往々にそういう事態に直面します。19世紀の晋仏戦争を背景にした「最後の授業」というフランスの短編小説がありますが、この中で、ドイツに占領されたアルザス・ロレーヌ地方のあるフランスの小学校で先生が「フランス語で授業をするのは今日が最後です。明日からドイツ語の授業になります」と生徒に告げる場面があります。他国に占領されるということは言語を失うこと、いや文化、伝統も奪われることが実感できる話です。

 日本が「明日から、一切日本語を使うな。中国語で話せ」という状況になったら、われわれはどうするのか。冗談で言えば、小生は喜びます。中国語が話せますから。ますます中国語会話に磨きがかかるなと思いますので…。でも、これはあくまで「開玩笑」の類。小生は骨の髄まで日本人ですから、やはり生まれ育った言語や文化、伝統を奪われたら嫌だし、それを阻止するためなら老骨に鞭打って戦うでしょう。言語、文化、伝統は個人のアイデンティティーを形成する基本ですから、失うわけにはいかない。

 という意味で、アゾフ旅団の司令官の話を感慨深く聞きました。彼は、ロシア軍が侵攻を始めた直後のキーフ郊外ブチャでの虐殺を持ち出して、「侵略されるということはこういう事態になるとウクライナ人が悟った。だから徹底的に抵抗する姿勢を固めたのだ」と語っています。ブチャではロシア軍による無抵抗者の虐殺、一般の家からの略奪、女性への無差別レイプがありました。これは文化、伝統が奪われるどころの話ではない。人間の生死、尊厳にかかわる話です。

 世の中のノー天気な「平和主義者」はすぐにインドのガンジーを持ち出して支配者に対する「無抵抗主義」を主張します。でも、これには相当の覚悟がいると思いますし、現実的ではありません。第一殺されてしまったら、無抵抗も不服従もできません。相手が暴力を使うなら、こちらも暴力で対抗するというのは道理でしょう。晴天の朝の秋空に向かうと、しみじみ平和な日常っていいなーと思います。この平和を続けるために自分は何をすべきか、何ができるのかと少しはその義務を考えたりします。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区の風景。港町函館もいいが、横浜もいい。下の2枚は我が家の近く吉田町のスナックバー街と「ノラねこ通り」。 

旅で邂逅した女性の導きで行った「立待岬」に感動

 やはり、旅(たび)はいいですね。これまで自分でセッティングするのが面倒なのでたいがい阪急交通社やクラブツーリズムのパック旅行に頼っていました。だが、これだとどうも満足感が得られない。その方面の観光名所はすべて網羅され、土産物屋にも連れて行ってくれる。お仕着せとはいいながら、そこそこ不満はないのですが、それでも何か物足りない感じがするのです。自分が行きたいところに行くには行くが、時間が画一的でゆっくり、ゆったりできない。その点、自分で設計した旅行は不十分で、見逃すポイントもあるのですが、なぜか満足感いっぱいなのです。

 2年ほど前にまったく自分で計画し、大阪から高速バスで鳥取に行き、その後に山陰本線の鈍行に乗って城崎温泉に行った独り旅は良かった。鈍行に揺られてワインを飲みながら、日本海の景色を見ながらの列車旅は最高でした。旅先で他人に話しかけ、そしてその人の旅程、目的を知る。外国人であればなお面白い。小生は英語か中国語ならまあまあ会話ができるので、インバウンドとの会話が持てるのも楽しみです。

 でも、これも1年ほど前の旅行だったかと思いますが、北海道洞爺湖のホテルのサウナ風呂で西洋人と遭遇、拙い英語で話しかけました。オランダ人とのことで、最近の欧州情勢などについて議論。話が弾み過ぎて15分以上サウナにいたために頭がふらふらになり、椅子から立ち上がれない状態になりました。恐らくサウナの熱気の上に英語を話す緊張感が加わり体が熱を帯び、熱中症のような状態になったのだと思われます。それでその後の楽しみであった夜の食事が摂れないことがありました。

 今回、9月初めの函館旅行は小中学校時代の友人との2人旅でした。新幹線の切符とホテルは旅行社に手配をお願いしましたが、その他現地の旅程は自由、小生らが勝手に決めました。そこで面白かった、というか、残念だったのは小生らが指定されたホテルは函館市内でなく、新幹線の駅がある北斗市。函館市で観光するには30分ほどかけて列車移動しなければならず、夜は北斗まで戻らなくてはなりません。しかも、函館-北斗間の電車は夜1時間に1本ほど。最初の日、時刻表など見てなかったので夜、酔っぱらって駅に行くと次の電車まで1時間以上ありました。

 がっくりして駅のホームに座っていると、隣に一人のおばさまがいました。聞くと、彼女のホテルも北斗市で、一本前の電車を逃したというのです。小生らとまったく同じ境遇ですので、世間話をして時間つぶし。彼女のホテルはわれわれの隣のホテルでした。話はそれで終わりなら面白くも何ともない。でも、驚いたことに翌朝、再び観光のため北斗駅から函館駅までの列車に乗ったら、なんと同じ車両の隣の席に昨日のおばさまがいたのです。なんの示し合わせもないのに。これは面白い偶然でした。

 彼女も観光に出かけるところですが、行く先を十分に決めてない感じ。そこで「それでは一緒に五稜郭に行きましょう」と提案したところ同意してもらえました。そのあとの昼めしの場所は、彼女が事前準備していましたので、我々も同行しました。函館市内の住宅街にある「gyogyo(ギョギョ)」という店。観光客が来るようなところでないのに、昼時は土地の人が並ぶほどの人気店。そこで刺身定食を食べましたが、1300円の料金の割には満足の行くボリュームでした。そのあと、これでおさらばというのも切ないので、「おばさまはこれからどちらへ」と聞くと、「立待岬に行く」と言う。

 小生ら2人はまったく知らない場所ですが、その地名に引かれて「それでは我々も連れてってください」と頼み込みました。その場所は函館山方面で、チンチン電車の終点から歩いて15-20分ほどのところにある岬。前は津軽海峡で、遠くに微か下北半島も見える絶景です。まったく来る気もなかったところですが、たまたま出会ったおばさまのお導きで素晴らしいところに案内していただき感謝感激でした。で、そのあともおさらばせず、3人で赤レンガ倉庫を散策。赤レンガ倉庫は横浜にもあるので、珍しくもないのですが、それはそれで異郷の景色は別物。

 3人で赤レンガ内のビアレストランに入り、函館港に落ちる夕日を眺めながらビールで乾杯しました。今朝、北斗で電車に乗る前までは想像もできなかった3人旅になりました。これも自由旅の良さ。その昔、学生時代、カニ族で北海道を周遊していた時にはこんなような遭遇がありましたが、まさか喜寿も迎えても同じことがあったと思うと笑ってしまいます。結局、そのおばさまとは函館駅から同じ電車で北斗のホテルまで戻りました。彼女も独りの自由旅で、翌日は特急で札幌に出るとのことでした。

 旅の邂逅はいい。若ければ、それはそれで恋に落ちるケースもあるのでしょうが、喜寿のおじさん2人と60歳代か70歳代かの人妻女性ではなんともならない。ただ、これでまったく別れ、縁が切れてしまうのも残念なので、一応、小生の名刺を渡しておきましたが、もうお会いすることもないでしょう。一つの旅の一つの思い出です。思い出は刹那であればあるほど記憶に残るもの、楽しさを凝縮しているように思います。

 上の写真は、晴れた日午後の立待岬、津軽海峡の風景。遠くに下北半島が見える。中の方は五稜郭入り口にて。下の写真は、函館の「ギョギョ」で食べた1300円刺身定食。魚は新鮮でした。

チャットAIが小説、論文を書く時代なんてまっぴらだ

 イヤー、驚きました。前回のブログ記事に対し、2人の方からコメントがありました。ShieSmaileさんはいつも読んでいただき、高評価の反響をいただいていたので、どういう方か大変興味がありましたが、なんと小生が教鞭を取っていた時の大学の教え子のようですね。しかも講義内容が「面白かった」と言っていただき、感動ものです。教壇を離れてもう7年近くなりますが、それでも小生のことを覚えていて、ブログに接してもらっているのは、やはりなんと言うか、教師冥利に尽きるというか、涙が出るほど嬉しいです。次は、時代小説作家として読者からいろいろな反響があるよう面白い小説を連発していきたいと思います。

 郷秋(Gauche)さんから大学制度論について教えをいただいたのも良かったです。小生はもともと新聞記者で、専門の大学教員養成を受けたわけではない。まあ、こう言っては差し障りがありますが、大学の講義は記者の経験を生かしてのもの。あくまでその立場だったので、大学の教育制度について本格的に定見を持っているわけでなく、思い付きで書きました。それに対し、反響を寄せていただけるとは恐縮の限りです。これからもいろいろご教示ください。人生、死ぬまで勉強、学習です。まだまだ学ぶことが多いです。学ぶことが多くてなかなか死ねません。

 それはともかく、最近、AIについての議論がかまびすしいですね。アンソロピックのダリオ・アモディCEOは、AI将来の危険性を察知したのでしょうか、「開発競争は減速すべきである」と言っています。小生もまったく同感ですが、いったん開発を進めた以上、途中で止めるのはできないのではないか。原子力利用だって電力開発のように平和利用もあるが、核兵器開発もあります。新しい技術というものはメリットとデメリットがあると知りながら、開発競争は続いているし、止める気配はないと思います。

 実は、小生は4年ほど前に時代小説を2冊商業出版しました。ですが、その後、小説を書く気にならなくなったのです。それはある人から、チャットAIに大体のストーリーと用語を入れると、AIが勝手に小説を創ってくれるという話を聞いたからです。機械が作るなら、人間は要らないじゃない、人間の創造性、尊厳はどうなってしまうのかと考えてしまったからです。最近はようやくその考えから離れ、それでも小生は人間の小説を書くという信念を持ち、執筆を始めました。

 小生はたまにワード検索の一環としてグーグルのジェミニを使いますが、基本的にはなるべくチャットAIには近づかないようにしています。ですから、論文書きや小説執筆でAIを使うことはありません。小説を書いている限り、今後絶対にそれに接近することはないと確信的に言えます。第一、チャットAIなどを使い慣れると、頭が馬鹿になってしまうような気がするのです。それでなくとも、老化で軟弱頭になっているのに、ますますそれが加速されそうで心配なのです。

 今、来春の時代小説第3作の出版を目指して準備を進めています。今、書き上げており、今後、出版社の指示を受けて、より読者受けするよう部分修正するつもりです。どうなるか分かりませんが、いずれにしても人間臭い、AIでは出せないような”味”の小説にしたいと思っています。人間の邪悪な心理、嫌らしい思い、助平な感情などはAIが描出できないでしょう。ある人は感情表現、善悪判断までできるという人がいますが、現時点でそこまでの到達を小生は信じていません。

 まあ、AIがそこまで到達し、さらには人間を凌駕するような時代になったら、この世も終わり、そんな世に小生は生きたくないです。人間が機械に支配されていいわけがない。そんな世界はまっぴらです。アンソロピックCEOの危機感が現実にならないようひたすら祈るばかりです。

 上の写真は、小生が通う歯科医院の待合室風景。ここの飾り付けは季節ごとに変わる。いつも人に優しく、いやされる飾りつけで、小生は大好きです。

同世代人の6割が大学生で知的レベル確保できるか

 日経新聞によると、2025年の18歳人口は109万人。この年の国公立、私立合わせた大学募集人数は63万5250人であり、大学進学率は過去最高の58・3%に達したと言います。10人のうち6人が大学まで進む勘定。現在日本には812の大学と名の付く学校があるので、吸収力は悪くない。実際にこの年の総募集定員63万人に対し、入学者は65万人に達したとのこと。早い話、大学進学を希望した者はほぼ皆行ける、全入時代に入ったようなのです。ただ、敢えて苦言を呈すれば、この状況だと大学が果たして高等教育の場としてふさわしいのかという疑問も湧いてきます。

 小生も恥ずかしながら、非常勤で大学で教鞭を取ったことがありましたが、ある有名私大で2学年生相手の中国語授業を頼まれた時、頼んできた先生は声を潜めて「あまり難しいことはやらないで欲しい。授業に付いていけない学生もいるので、すぐに講義に出てこなくなってしまいますよ」と小生に注意してきました。でも、小生は、今の学生がどのくらいの実力があるのかと思って最初の授業の日に、短かい中国語文の翻訳をやらせました。それで、これからの授業の方針を決めようと思ったのです。

 で、学生の回答を見ると、ほぼきちんとした日本語で完璧な翻訳をした人もいれば、箸にも棒にもかからない学生もいました。そこで知ったのは、学生数の多い私立大学って、できる学生とできない学生の差が激しいんだなという点。でも、できない子もやがてその有名私大卒業という看板を背負って社会に出ていくんですね。ある意味、大変だろうなと思いました。

 それはそうと、小生は、一学期は中程度の学生に合わせて講義をしたのですが、セメスター制度によって学生が入れ替わる二学期は少し緩める授業にしようと思っていました。そこで、一学期末にその旨をほのめかしたのですが、それでも小生の講義取得者は激減しました。実は、難しく講義をするのは事前の準備が大変です。ですから、レベルを落とすと楽になるにはなるんですが、中にはものすごく優秀な学生もいて、彼らは満足しません。そこで考えたのはこずるい方法。優秀な学生に模範解答を出させ、それを解説する形で授業をしました。

 これだと優秀な学生は自尊心がくすぐられるし、できない学生は「あいつの完璧さに比べて俺は情けない」という反発心を生じると思ったのです。でも期待に反して、できない学生にそれほどの嫉妬心、反発心も生まれませんでした。要は、彼らにとって大学は学んで知識を膨らませる場でなく、そこそこに過ごし、大学卒という肩書だけ欲しいという考えだったのでしょう。でも、同世代の6割が行く大学の肩書ってそれほど魅力的なんだろうか。社会に誇れるキャリアなのだろうか、ごく一部の有名国立大学卒業生を除いて。

 さらにしみじみ思います。同世代人の6割が行く大学という場で、入学者は本当にふさわしい知的なレベルがあるのか、学校側もそれを要求することができるのかという点。小生が行っていた別の大学の話ですが、授業が終わったあと、教師が教室に残っているのにもかかわらず、複数の学生が机の上に乗って車輪の付いた机を動かしながらはしゃぎまくっていました。正直、小生はあきれ、内心「これで大学生なのか。こいつらの知性、常識は幼稚園児と変わらない」と感じました。

 戦前は大学に入る人は同世代人の2、3%程度だったと言います。これなら、かなり知的レベルが高かったと推察できます。1950年代には10%台になり、小生ら団塊の世代が入学した1960年代後半では2割強だったと記憶しています。でも、その後に受け入れ側、特に私立大学の設置数が増えました。実に1992年には523校、2025年には812校になったと言います。もちろん、学校側は留学生の来訪を期待して、ビジネスになると踏んだのでしょう。でも今の現状を見ると、日本の同世代人の6割が入学してもなお定員割れ(私立大学の46%とか)が生じており、やはり少子化が影響して大学数過多だと思えてなりません。

 前述のように、6、7年前まで実際に現場にいた小生の印象からしても、同世代人の6割などとなると、本当に大学教育を受けるにふさわしい知的レベルの人が入学しているのかという点で大いに疑問を持ちます。ただ、私学はビジネスとして成り立たせなくてはならないので、少なくとも定員に見合った入学者の確保を目指します。その結果、他大学に取られないようほとんど高校3年生の秋口から無試験の形で囲い込む方法を取ることになります。質より量を考えるのでしょうね。

 大学卒業生にしても、本当に高等教育にふさわしい知識を身に着けたのかと問われれば、そうとは答えられない人が多いのではないか。であれば、もう高等教育にふさわしい本当の学問をする大学の数と定員は一定数を限度にした方がいい。その他はドイツのような専門的な職業人、マイスターを育成するような学校に替えていくべきです。なんでもかんでも「大学」などという名称は止めた方がいいように思います。

 上の写真は、我がマンション近くで見かけた秋祭りや花壇の風景。

「好きな言葉?それは自由かな」のCMに共感

 何かのテレビコマーシァルで、俳優の役所広司が出てきて、「好きな言葉は何ですかと問われれば、それは自由かな」と発言するところがあります。小生の最初の印象は、多忙な俳優であるなら「ゆったりした時間」とか「快食快眠」とか、あるいは「愛」とかの言葉が出てくるかなと思ったのですが、「自由」という意外な言葉が登場したのでびっくりしました。もちろんCMですから、脚本通りの発言なのでしょうが、小生は役所が本心からそう思っているようで、心底から感じ入るものがありました。

 小生はこのブログで再三書いているように、最高に価値ある社会制度は自由と民主主義、人権の確保だと思っています。つまり、どんなに豊かな生活が保障されようと縛られた生き方はしたくない。「食が満たされた奴隷」より、「貧困な自由人」を選びます。個人が自らの自由意志で生き方を選択し、その実現へのプロセスが許される社会が一番素晴らしいと思っています。という意味で自由のない国には住みたくない。いわんや自由がないのにもかかわらず貧しく、しかも戦争ばかりをしている、軍備ばかり整えている国、さらには、独裁体制であって、その状況を人民の意思で変えることができないような国には住みたくない。

 そんな不自由な国はどこだとは敢えてここでは触れませんが、わが国の周辺にはそういう国が少なくない。まあ、選挙制度がない、あるいはその制度が不十分であれば、非力な個々の力ではそういう社会を簡単に覆せません。しかも、そういう国に限って子供時代から洗脳教育が徹底されていますから、自由、民主、人権の良さの発想が生まれない。人民はひたすらプロパガンダの官制メディアに踊らされて「我が国は素晴らしい」「国家の指導者はよくやっている」と頭に刷り込まされるのです。悲しい現実です。

 でも、ここで注意しておかなければならないのは自由の危険性もあること。自由を持て余して却って不自由さを求めることが歴史上ありました。ドイツのワイマール憲法下、自由な空気の中でヒットラーのような独裁者が民主主義のルールに則って誕生しました。心理学者エーリッヒ・フロムが言うような「自由からの逃走」です。ヒットラーの登場は、ドイツ人民が自由によって却って不安感、疎外感を増長させ、一定の檻の中に入りたくなるという心情に至ったものだとフロムが指摘しています。自由というのは半面、そういう危険性を孕んでいます。

 現代の危険性は、特にポピュリズムによって自由の裏にある、自由を担保すべき責任と義務を忘れる傾向にあること。小生はそう思えてならないのです。再三の主張で恐縮ですが、ノー天気なサヨクは、平和は念仏のように唱えていれば達成できる、だから軍備など要らないと言います。抑止論などをまったく無視し、「戦争反対を言っている国がなぜ軍備をするのか」などとおよそ現実離れした荒唐無稽な論を展開する人さえいます。われわれは他国を侵略する自由がないのと同時に、他国からの侵略を許容する”自由”もあってはならないのです。

 まあ、中国、ロシア、北朝鮮という国に魅力を感じている人たち、確信的にこれらの第五列になっている政党のメンバーならまだ理解できます。ですが、半可通の人が”平和プロパガンダ”によって「非武装論」などに毒されたり、評論家やジャーナリストなる人たちがメディアなどでそういう理想論ばかりを展開するのは感心しません。自由によって生じた過度のポピュリズムは危険であり、注意が必要です。

 上の写真は、東京・九段坂にある大山巌元帥の銅像。西郷隆盛のいとこで、戊辰戦争、日露戦争を戦った将軍。”敵軍”であった会津藩の女性を妻に迎えるなど、懐が深い魅力的な生き方をした人です。真ん中はインド大使館を背景にした夾竹桃、下の方は、国立戦没者墓苑で見られた夾竹桃。 

張本さんの被爆体験も大事だが、抑止論にも言及を

 プロ野球の名選手、張本勲氏が亡くなりました。86歳という年齢からいってもそれほどの意外性はないのですが、日曜日朝のTBSテレビ報道バラエティー番組「サンデーモーニング」でレギュラー出演していた時の彼の話は面白く、小生もファンだったので、もうあのコメントが聞けなくなるのかと思うと残念です。この番組の国際、国内政治を語るコーナーではコメンテーターが上から目線で、しかもほとんど現実離れした理想論ばかり。それで好きになれなかったので他チャンネルを見ていましたが、スポーツコーナーが始まる9時ごろからにはTBSに回していました。元日本ハム監督の大沢啓二さんと張本さんの掛け合いでスポーツ全般を批評するのが秀逸でした。

 張本さんの現役時代のバッティングフォームが好きでした。一般に選手はバットヘッドを投手側に向けてダウンスイングをするのですが、張本さんはヘッドを後ろに引き、レベルスイングで打つ打法でした。その昔、大洋ホエールズの近藤和彦選手もバットをぶらぶらさせながら平行に振る似たような打ち方をしていて、小生も良く真似しました。で、今回死去での思い出話で初めて知ったのですが、張本さんは子供の時に手を焚火に突っ込んだ事故で指2本を損傷していたとのこと。あれでよくバットコントロールし、前人未踏の3000本安打に達したものかと改めて感心しました。

 張本さんは両親とも朝鮮半島から来た人で、子供ころは母子家庭。極貧の中、いじめにも遭って苦労をしたようです。彼はそれをバネに反骨精神を高めたのですが、その経歴を隠しはしないけど、誇示しようともしない。ただ、苦労して育ててくれた母親を深く敬愛していました。その辺も彼の魅力。同じ朝鮮半島出身のスポーツマン力道山に教えを請い、親しくしていたようです。晩年は日本だけでなく、韓国のスポーツ発展にも気を配っていて、かの国のプロ野球創設にもかかわったようです。民族の血を忘れていないことは間違いなく、その辺からも彼のすばらしさを感じます。

 だからといって生まれ育った日本をないがしろにする感じはない。いやむしろ、スポーツ解説を聞く限り、彼の日本愛も相当のものがありました。原爆投下の際に一家は広島にいて爆心地から2キロほどのところにいたそうで、外に出ていた最愛の姉が直接閃光を受けて爆死しています。5歳だった本人は小高い山陰の自宅にいて、瞬時に母親が覆いかぶさったことから無傷で済んだとか。この話を聞くと、子を思う親の深い愛を感じます。彼の強い母親愛はそこに由来するのでしょう。

 若いころはずっと広島にいたのでしょうから、事後被爆されたことは間違いなく、現に原爆手帳を持っていました。被爆について張本さんは現役時代に決して明らかにしていませんでしたが、確か1990年代になって「昨今の若者が原爆の恐ろしさや被爆体験に無関心になったから」と言って、悲惨な原爆の体験を引き継ぐためにと徐々に自分のことを語り始めました。毎日新聞のインタビューが最初とか。姉が「痛い、熱い」と言いながら死んでいったという話はリアリティーがあって反原発、反原爆、核兵器反対団体には恰好の生き証人になったのでしょう。

 原爆の悲惨さを引き継いでいくことは大切です。でも、核拡散防止条約を受け入れて核兵器を持たない日本国内で反原爆を叫んでもあまり意味がない。もともと持っていないし、政府は今後も持つつもりはないと言っているのですから。この悲惨さの話はむしろ先制使用しかねないロシアや中国、北朝鮮に向けて言って欲しい。日本のような国が核兵器を持ってないことで、これら核装備の国に脅され、好き勝手にされることは業腹です。中国はかつて「日本は核兵器を持たないので、攻めやすい」みたいなことを広言していました。サヨクの人たちが核兵器反対を叫ぶのは反対しませんが、同時に彼らを制御するための核抑止にも触れて欲しいと思います。

 張本さんの話から飛躍しました。ただ、サヨク系のメディアは、張本さんが言うような悲惨話ばかりを膨らませて軍拡反対を主張し、「戦争に反対する国が軍備を持っていいのか」というようなおよそ現実離れした「平和論」に終始しています。それが不合理なのです。何百万もの読者、視聴者を抱えるメディアであるのなら、床屋談義の理想論ばかりでなく、古今の安全保障論を参考にしながら、現実に根差した抑止論まで展開して欲しい。平和論を語る記者であるなら、少なくとも理想と現実の乖離に言及したハンス・モーゲンソーの「国際政治」やエドワード・H・カーの「危機の20年」のような本を読んで欲しいと思います。

 上の写真は、昨日まで行っていた北海道・函館の風景。久しぶりに晴れたとかで、この日の函館山山頂は押すな押すなの人。夜景より人の頭を見る方が多かったくらい。下の2枚は函館駅近くで、榎本武揚軍に加わった新選組副長の土方歳三が政府軍に撃ち殺されたところにある記念碑。

喜寿の老人でも毎日やるべきことを設定すべき

 先日、高校時代の友人から「クラス会をしよう」とのメールが来ました。学校時代に一年生の時から3年間、体育祭や文化祭をさぼって一緒に山登りしていた親しいクラス仲間。50歳くらいの中年になってから年一回必ず集まっていましたが、70歳近くなるとリーダー格だった男が病死してしまいました。別々の大学に入っても年一回程度、その男の家に集まって朝方まで酒を飲んだり、麻雀をしていました。中年になっても元気そうだったのですが、その彼が突然いなくなったのです。大変なショックでしたが、まあ同時に、年を取るということはこういうことなんだと実感しました。

 親しかった山仲間の何人かは連絡が取れなかったり、亡くなったりしたものですから、集まる人も減っていったので、では山仲間だけでなく、1年生の時の同じクラスにいたメンバーの参加も呼びかけようとなりました。さらに、同期であれば、だれでも来て欲しいとも訴えました。それで一時は毎年のクラス会は参加メンバーが増えたのですが、年を経るごとに徐々に減り、参加メンバーも固定化していきます。そして今年、とうとう常連メンバー2人が「癌」ということで欠席を言ってきました。

 まあ、小生も65歳で胃癌、70歳過ぎに前立腺癌と二度の手術をし、癌には縁があります。昔はともかく、昨今は癌といっても早期発見であればほとんど「死病」ではない。小生も早期発見だったので、その後、服薬、放射線照射などの術後治療とは縁なく、まあまあ元気に過ごしております。ということで、われわれの同期は今年喜寿の年齢を迎えました。昔は、「えー77歳、もう完全にじじーじゃない」と感じていました。自分の爺さん、親父を見てもその年って相当な年寄りって思っていましたが、自分がなってみると意外にも実感がない。

 ずっと自分の顔、恰好を見ているわけではないので、老化を自覚することがないのです。でも、鏡で顔をしみじみ見る度に、シミもあるし、しわもあることを自覚します。やだなー、紅顔(厚顔か)の美少年(?)だった俺もこんな爺いになるのかと不快感を募らせますが、これも悲しい現実であり、受け入れざるを得ません。で、欠席を言ってきた癌の友人には、「へこたれるんじゃない、2、3年先にどうありたいかという人生の目標を設定し、それに向かって生きようぜ」と呼び掛けました。

 小生自身は、毎朝起床した後、「今日は何もすることはないな。では、どう時間をつぶそうか」ということはありません。毎月定期的に書いているアルバイト原稿があるし、このブログ書きもある。たまに、関係している団体の会合が東京や千葉であります。ですから、「では、今日はあの締め切りの原稿を書いておこう」と寝起きに必ず計画を立て、「午後に出る会合ではどんな新鮮な情報が得られるのだろうか」と期待感を膨らませたりします。巷間、一日の計画など持たず、毎日のんべんだらりと過ごすと限りなく死に近づくと言われていますが、小生もそう思って抗っています。

 ただ、テレビのメジャ-リーグ中継や、ユーチューブやネットフリックスで面白い番組や映画を見始めて止められなくなると、寝起きの計画を変更してしまうことはあります。たまに、締め切りが迫っているのに仕事を忘れることもありますが、それはそれでいい。その時は「明日もある。原稿書きは明日やればいい」と独りごちます。老人に無理は禁物だと言い聞かせていますから。

 上の写真は、横浜駅近くの高島町で見た風景。横浜には壁画が多い。