つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

胡散臭い人間はすぐに分かる

 小生は、元記者なので、人を見る目は一応持っているつもりです。記者は取材先が命、取材相手がまったくミスリードするようなことを話し、それをもとに原稿を書いたら、大変な事態になってしまうから、その取材先の人物を見極める必要があるのです。ですから、取材の際に、この人はこの問題で語る資格があるのかを判断するために、原稿と関係ないところまで突っ込んで問うたり、問題に関する他の関係者との接点について聞いたりして話の信ぴょう性、一貫性をチェックします。
 そんな習慣が身に着いた結果、初対面の人をまず半分疑ってかかって見るようになりました。べートーベンまがいの盲人の作曲家を自称していた佐村河内守なる人物をテレビで最初に見た時、内人もそう言っていましたが、正直小生も「これはあやしい」と思いました。というのは、音楽家であるのに、楽器に触っているところが見えず、しかも盲人なのに白杖を持たず、老人用の杖を持っていたからです。
 今にして思えば、小保方晴子なる女性研究者もテレビで最初に見た時に、どうも研究者ぽくないなという印象でした。顔が研究者独特の、一途な道を追い求める顔をしていないし、記者会見のしゃべりを聞いていても説得力がない。でも理化学研究所の所員だと言うから、さすがに当時はまさかと思いましたが、、。
 「実はあの時こう思った」などということを他人に話しても、後出しじゃんけん的で意味もないことは分かっていますが、この際だから言ってしまいます。テレビの「報道ステーション」に出ていたショーン Kなる男を初めて見た時も「これはあやしい」と思いました。この感覚は内人に話しているので、ある程度”証拠”になっていると思います。
 表面的に容姿はかっこいいし、声がいいし、話しぶりも穏やかなので、いわゆる庶民受けはしますが、小生はなぜか嘘くさいなと感じたのです。というのは、話の中身をよくよく聞いていると、大したことを話しておらず、しかも大したこともないことを抑揚もなく長々と話すし、要領を得ない。
 小生などは、この男が話し出すとすぐに飽きてしまい、全部内容を聞き取ろうという気が起きないのです。ただただ「声はいい男だ」の印象で終わってしまうのです。なるほど出生、経歴、学歴詐称とはうなずける。まったくのデタラメ人生、虚飾で作り上げた過去だったのですから、話に内容がないのは当たり前です。
 佐村河内守氏もそうだが、こんな詐称で一生押し通せるとでも思ったのでしょうか。無名であれば、あるいはそれで通るけど、テレビなどで有名になれば、出生、学歴、経歴などはすぐにばれてしまいます。知っている人間は大勢いるのですから、、。そういう意味で、ショーン Kなる偽ハーフのコメンテーター寿命などはそんなものだったのでしょう。

 上の写真は、上野公園の入り口付近にある早咲きの桜。