つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

不倫スキャンダル、面白いけどもういいよ

 民進党の論客である山尾志桜里議員の不倫が週刊誌に取り上げられて、窮地に立たされています。保育園の待機児童が多いことを国会で取り上げ、全国の真面目に外で働く女性の味方になっていた人だけに、実は家庭第一でなく”生臭い”人であったというそのギャップに驚かされます。が、有能な議員が”たかが”不倫くらいでその政治生命が奪われるのも可哀想な気がします。
 最近、議員の男女問題が週刊誌でよくすっぱ抜かれ、それがテレビのワイドショーでも取り上げられます。男女関係の下世話ネタは世間の井戸端会議の恰好の話題でしょうから。今井絵理子議員の時もここで書きましたが、万を超す有権者に自分の名前を書かせる最大の人気商売である国会議員にしては、脇が甘いなという感じがしてなりません。
 特に、山尾議員は「幹事長内定」が通知された夜のことですから要注意の時。政治部記者ばかりかパパラッチだってその動向に注目するのに、大胆にも品川の高級ホテルに夫以外の男とワイン持参で密会し、一夜を過ごしたというのですからあきれてものが言えません。
 よく「自分に限ってそんな目には遭わない」「自分は絶対安全だ」と言って無邪気に「安全神話」を信じる人が多いけど、残念ながらそんな保障はどこにもない。特に議員という特別な存在であり、しかも注目されている人であったら”危険”にぶつかる可能性が高いことを自覚しておくべきでしょう。
 ところで、山尾議員の不倫相手である弁護士は「一線を越えていない」と言っていました。今井絵理子議員の暴露話が出たとき、本人もお相手の神戸市議会議員もそういう弁解をしていました。そこで小生、しみじみ思ったのは「一線」って果たして何だろうかという点。多くの人が疑問に思ったのではないでしょうか。
 男女関係には、手を握るとか、キスするとか、はたまた抱き合い体を重ねるとか、重ねていても挿入はしていないとか、さまざまな段階があるけど、どこの時点を言うのだろう。いや肉体的ではなく、もっと別の次元の精神的なもの、感情的なことなのか。精神的な交わりのない、遊びの段階なら一線は越えていないということなのか。
 人間生身であれば、いろいろな感情があり、男女がすれ違う場では特にさまざまに募る思いもありましょう。ですから、無闇に道徳論を振りかざし、不倫を糾弾するパパラッチ・マスコミの在り方はあまり好きではないし、第一、取り上げる週刊誌側、記者の連中も自身そんなに品行方正に生きているのかと言いたくなります。
 男女の仲の詮索や不倫話は面白いけど、もういいよという感じもします。だって、人間の社会、品行方正を限りなく求めていけば、結局、無味乾燥でつまらない社会になっていくような気がしてならないから。


 上の写真は、8月末の横浜中華街の風景。中国人が来日した時に案内しました。