つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

領土は寸土でも譲れない

 韓国という国はいったい何を考えているのでしょうか。歴史的に見て明確な日本領である竹島について、イスンマン大統領が戦後の日本の弱体期を狙って掠め取り、すでに60年の長きにわたり不法占拠しています。それに対し、日本は日韓関係を大事に思い、自国領土であることは忘れないとするものの、強いて事を荒げることはしてきませんでした。
 日本が潜在的な領土として教科書に掲載するのは、最低限の意思の表示。しかも、今回、かなり遠慮気味に記載しただけです。それに対して韓国側の反応はなんなんだろう。日本が領有意識を示すだけでもけしからん、もはや戦争だ、などと大手マスコミも含めて狂気に走っています。実効支配しており、アドバンテージを得ているならば、むしろ自らは大きな声を出さないというのが大人の態度で、得策と思うのですが、ぎゃーぎゃーとわめくのは何か別の意図があるのではないかと思いたくなるほどです。
 その上、対馬に韓国の極右団体が押しかけ、「対馬も韓国領土だ」とシュプレヒコールを上げています。こんな理不尽なことが許されていいのでしょうか。しかもこんなことをされて黙っている日本政府も政府です。逆の立場が成り立つものか。日本人が韓国で「竹島は日本の領土だ」ばかりでなく「済州島も日本の領土だ」と言ったらどういう罰を受けることになるやら、想像もつきません。自国民が相手の国でできないことを、他国の民に自国では許すという政府では心もとない限り。こうした韓国極右の輩は検挙し、少なくとも二度と日本に入れないような措置を取るべきだと思うのは小生一人ではないはずです。
 それにしても、意味不明なのは、A紙記者の論調。AERA誌に掲載されたあるコラムで著名な軍事記者は、竹島問題に関連し「領土より友好が大事」などと平然とのたまわっているのです。われわれ国民が生きる空間である領土がなくなったら、友好もへちまもなく、A紙が絶賛する現憲法も効力行き渡る場所がなくなることがまったく分かっていないようです。「でも、寸土ならいいのでは」と言う御仁もいるが、寸土を譲ればやがて全土に至るということはミュンヘン会談からチェコ侵略に至るヒットラーの所業を見れば、明々白白です。A紙の記者は近代史をもっと勉強した方がいい。尖閣諸島を譲れば、やがて沖縄も中国領土と言われることは必然の流れです。わが国は二度と他国を侵さないが、自国の領土については血を流してでも守らなくてはなりません。
 下の写真は、7月海の日三連休の最終日、高尾山から景信山までのハイキングに付き合ってくれたお三方。若い2人は翻訳会社の同僚。老人は神奈川県庁の元重鎮で、現在大学教授の方です。