つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

五輪開催前にやはりテロはあった

 大学同窓であるいつもの仲間と今年も、中国に行く計画を立てています。例年、旅行の日程は7月末から8月初めにかけてなのですが、今年、各人が共通して思ったことは、オリンピック開催前に行くのは止めようねということ。それで結局、今年の日程は8月23日から9月2日まで、場所は遼寧省吉林省北朝鮮辺境地帯と決まりました。
 なぜ、オリンピック前を避けるのか。それは、テロの発生を恐れたからです。昨今の情勢から、テロが必ずあるとみていましたが、案の定、すでに上海、雲南省で起きています。8月8日の開幕式まではどうも危険時期と見ていいのでは。路線バスが狙われるケースが多いようですね。言うまでもなく、無辜の人間を殺傷するテロなどを認める気はありませんが、中国の格差を見ていると、そういうフラストレーションが溜まっているのかなとも思います。
 格差を表すジニ係数は中国ですでに0・5に近づいており、これだけの不平等感があると、本来ならば、同じ国家の国民としての認識は生まれないはずです。なぜならば、国家とは、民が同じ条件を持ち、ある程度同じ生活をすることが基本になっています。そのために、税制があり、税によって富の配分が行われるわけですが、13億人などというべらぼうな人口の中国では、この再配分は機能していないでしょう。
 特に、地方ボスによっ蹂躙された田舎はひどいです。少女が暴行された挙句、犯人は検挙されない先の貴州省ウエンアン県の例を見るまでもなく、地方警察と行政ボスと地域の金持ちがぐるになって、農民いじめをしています。工業化が進み、農地は工場設置のために召し上げられ、農民は完全に搾取の対象になっています。こんなひどいことがいつまで続くのか。小生は中国旅行をしていつも農民に接する機会があるたびに、毛沢東の「農村が都市を包囲する」という言葉を思い出し、いつかは真に革命の主人公になってほしいと願ってしまいます。
 中国の矛盾は、チベットウイグルに見られるような少数民族問題だけではない。都市と農村、都市生活者と農村生活者という以前からある格差の方がより普遍的で、深刻です。本当に怖いのは、搾取を自覚した農民が新たな反乱を起こすことですが、その兆しはもう出ています。
 下の写真は、7月20日の海の記念日で行われた横浜港の花火大会。小生の家のマンションからの写真ですが、当日、友人が大勢押しかけ、ベランダは鈴なりになりました。