つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

中国共産党100周年記念日に思うこと

 今日は7月1日。もう今年も半分終わってしまった。デカンショデカンショで半年暮らすという歌ではないが、今年もコロナ、コロナで半年暮らしてしまいました。これは、小生独りの感想でなく、恐らく世界共通の感覚だと思います。本来なら、オリンピックを1カ月後に控えて、かなりの盛り上がりを見せているのが普通ですが、テレビのワイドショーなどを見ても、相変わらず、コロナ再感染拡大への不安を煽る内容のものばかり。もういい加減うんざりします。オリンピックをやると決めたのですから、どうか前向きに競技に焦点を合わせた番組構成にしてもらえないでしょうか。

 7月1日と言えば、中国共産党の創立100週年でもあります。北京やその他の地方でも記念式典が開かれています。なぜこの日かと言えば、ちょうど100年前に上海のフランス租界(当時)で、共産党の第一回大会が開かれたのです。小生がこの開催地を訪れたのは、1978年に山形県人の仲間とともに、最初に中国を訪問した時。中国現代史を学んでいたので、ぜひ訪れてみたかったところです。その後3回ほど現地に行ったことがあります。というのは、この革命遺跡は、上海で2000年に造られた洋式飲食街「新天地」のすぐ近くにあるので、ちょいと足を伸ばせば行けるのです。

 最初の時は、レンガ倉庫のようなところの表に「革命遺址(遺跡)」の看板があるだけで、中には入れませんでした。倉庫の周囲も大勢の一般人が住んでいて、下着などの洗濯物が干してある上海の下町の風景でした。ですが、新天地ができたあとは、この倉庫が大改造され、中に革命博物館のような展示施設ができました。共産党も、自身の過去を誇張したいためか、行くたびに再開発され、レンガ倉庫以外周辺は豪華な公園やビル群となり、華やかさを増していきます。もう住人はおらず、もちろん洗濯物もありませんでした。

 中国に関心を持ち、中国関係の原稿を書いている者として、7月1日の共産党創設日、8月1日の建軍記念日、10月1日の国慶節はそれなりに関心を持って見守っています。特に、今年は党創立100周年なので、朝から中国国営テレビのCCTVを見ていました。その中で「国家記憶」という番組があり、共産党100年の歴史を遡っていました。当初の共産党指導者は、貧しい人民のために何とかしたいという強い意志があったことは事実だと思います。学生時代に毛沢東を描いたエドガー・スノーの「中国の赤い星」や、朱徳将軍を描いたアグネス・スメドレーの「偉大なる道」を読んで感動したのを思い出してしまいました。

 初期共産党の素晴らしい印象が忘れられなかったのか、小生、50歳過ぎになって中国各地の革命聖地を昔の記者仲間とともに毎年夏、訪れるようになりました。第二次国共合作時代の中共根拠地の延安(陝西省)、第一次国共合作が北伐で壊れた後の革命根拠地、井岡山、瑞金(いずれも江西省)、さらには湖南省安徽省四川省寧夏回族自治区など紅軍が長征でたどった道、都市も。どこでも革命遺跡は見事に保存、再現され、革命記念館が造られ、”偉業”を知ることができます。長征に参加した当時の共産党幹部は先行きが見えない中、信念のために戦ったという意味では尊敬できる人たちだったと思います。

 瑞金で共産党ソビエト臨時革命政府を設立しました。ここでの目玉政策は、共産党が地主から土地を奪い、小作農に分与するというもので、農民の信頼を得たのです。でも、それは新中国誕生後に裏切られます。毛沢東は土地を国家所有にし、農民を集めて集団営農を始めるのです。いわゆる合作社、人民公社などの社会主義化。これには農民はがっかりして労働意欲をなくします。その結果、1950年代末の大恐慌、大飢饉を招き、数千万人が餓死したと言われています。

 急激な社会主義化はまずいとばかり、当時実権を握り始めていた劉少奇や鄧小平らが一部自由化への軌道修正を図ろうとしますが、すると、教条主義者の毛沢東は権力が奪われることを怖れて今度は文化大革命というような狂気の状況を作り上げていくのです。独裁体制国家はこうして大きな政治のブレを起こします。昨今、中国が繁栄し、世界の強国になったのは「党のお陰」と知った若者の多くは、共産党を再評価し、習近平指導部の過激なかじ取りを支持している風潮が見られます。ですが、やはり急激な政治の転換、強制的な上意下達の支配体制、かじ取りは危険だと小生は思います。

 特に、一人の権力者による独裁がもっとも危ない。英国の歴史学者ジョン・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する」と言っていますが、今の中国やロシアを見ると、どうもそんな感じがしてなりません。批判を許さない社会ではなおのこと、政治はゆがんでいきます。

 上の写真は、我が家近くの床屋の店先に咲くチェリーセージ・ホットリップス。小生は女性がスカートを穿いた感じがあるので、勝手に「踊り子花」と名付けていました。