つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ゼロコロナ抗議行動は文革同様の大衆煽動型か

 コスタリカに負けてスペインに勝つわけないと思っていましたので、老人としては、徹夜をするか、朝4時に起きて見るかという過激な選択をする気力も体力もありませんでした。で小生は、昨夜は、いや今夜半か、12時半ごろに寝て、今朝7時半すぎまでぐっすり寝ていました。起きて内人に結果を聞くと、なんと「2対1で勝った」とのこと。「それってドイツ戦と間違えていないか」と確認したところ、確かに勝ったとのこと。テレビをつけるといずれのチャンネルでも「ワー、ワー」と騒いでいたので、やっと実感しました。

 とにかく、小生がライブで見なくて良かった。小生がライブで見ると、なぜか日本が負けることになるのです。コスタリカ戦はまあ日本が確実に勝つだろうと思い、ゆったり酒を吞みながら観戦していたのですが、前半向こうは11人全員がディフェンスに当たり、日本は1点も入らない。いらいらしていると、後半逆にカウンターを食らい、一瞬の隙にシュートを決められました。なんということか。相手を舐めたとまでは言わないが、若干ドイツ戦に見られた必死さが欠けていたように感じられました。

 で、スペイン戦はふんどしを締め直したのか。前半は相手の攻撃を凌ぎ、後半で攻撃的になるというドイツ戦と同じような試合運びとなりました。そこで2点取るとは素晴らしい結果です。2点目はゴールラインを割ったような感じもあってビデオ判定となり、すんなり喜びを爆発させるようなことにはならなかったのが少し残念。でも、ビデオによって判定されたのですから、スペイン側も文句が言えないでしょう。ビデオがなかった時には「マラドーナの神の手」のような明らかな反則がまかり通ってしまいましたが、その点ビデオはまさに「神の目」です。

 それはさておき、ゼロコロナ反対を叫んで住民が抗議行動に出てきた中国の情勢。昨日辺りから当局が少し強硬姿勢を見せ始め、群集の規制をするようになりました。だから、表面的には抗議行動は陰りを見せている感じもあります。で、このままムーブメントは収まるのか。いや、そうではない。当局が強硬姿勢を示せば示すほど、学生や反対派群集は力をため、やがて新たな形を取って再びマグマは爆発させるように思われます。なぜかと言えば、このムーブメントは自然発生でなく、明らかに一定の勢力が背後にいるからです。

 中国で権力奪取を狙う場合、民衆煽動型と宮廷内クーデター型の2通りがあります。1976年秋の「四人組」逮捕は、毛沢東主席逝去の直後、葉剣英らの古参幹部が中南海の警護部隊(八三四一部隊)を使って毛の絶対恭順派である江青ら4人の寝込みを襲って拘束した宮廷内クーデター型。一方、1966年に始まった文化大革命は、大躍進の失敗から毛の権力が劉少奇らの実権派に奪われたので、毛がもう一度権力を握り返すため、劉少奇や鄧小平らの「実権派」を打倒対象にし、大衆を煽動したものです。

 今の中南海の警護部隊や武警中央は完全に習近平福建省時代からの幹部が司令官を務めているため、宮廷内クーデターは難しい。だから今回、党内反対派は大衆煽動型の権力奪取を狙ったと思われます。ゼロコロナ政策には全国的に不満が鬱積しているため、民衆を扇動するにはうってつけの機会です。上海では「共産党下台、習近平下台」のスローガンが叫ばれました。1989年の民主化運動、天安門事件当時、李鵬首相に反発する声があっても、最高実力者の鄧小平を否定したり、共産党の執政に反対する声は出ませんでした。

 つまり相当勇気がいるシュプレヒコールであり、一般大衆がおいそれと口に出せるものではないのです。それがゼロコロナ反対の民が集まった早々の時点で叫ばれました。過激な主張は一定の人、勢力が背後にいると見るのが自然です。「共産党下台、習近平下台」の狙いは主に「習近平下台」にあって「共産党下台」は付けたしだと思います。明らかに反習近平であるなら、その勢力とは、上海に強い勢力を持つ江沢民、曽慶紅派、さらに今回の党大会で自派出身幹部をすべて降ろされた共青団以外に考えられない。

 なぜ昨日、江沢民の死亡が公式発表されたか。これも今回の暴動と大いに関係あるでしょう。実は、中国でかつて政治局常務委員を務めた大物の親類が今日本にいて、その人からある国会議員秘書を通じて小生のところに「江は10月6日に死亡した」との情報が入ってきました。10月6日時点で江はすでに死亡状態にあり、その後植物人間として生かされていたのだと思われます。

 江の死が今の習近平政権の体制そのものに大きな影響を与えるとは思えません。だが、江沢民は、自らが政権の座に着けた習近平がその後逆らって江派の紅二代らを取り締まったために快く思わず、反発していました。そういう人物の死の情報は、習にしてみれば、上海で反習のスローガンを掲げた暴動の鎮静化には役立つと考えたことでしょう。民衆にとってはある種の後ろ盾を失うことになるのですから。だから、反習ムーブメントが高まったこの時期に発表にしたのかも知れません。でも反習ムーブメントはそう簡単に終わりません。その説明は後日。

 上の写真は、野毛呑み屋街にあるバーの入り口。下の方は、桜木町郵便局の投函箱の上に鎮座したマスコット。可愛いので思わず撮ってしまった。