つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ゼロコロナには「ゼロ反習近平」の狙いも

 「ゼロコロナ対策」って、中国にあってなぜ西側諸国にないのか。専制主義国の独裁者は、コロナ感染者はいわゆる健康な世界に入り込んだ異分子、政治の世界で言えば、政権の意向に逆らう人、反逆者と同等と考えているからでしょう。紅組の中にぽつんと白い鉢巻をした人がいれば、それらを徹底排除にかかるのは当然の行動。ですから、ゼロコロナというのは反逆者、反共産党を取り締まるのと同じ意味なんですね。独裁者にとっては、コロナ感染者を退治できないのは、街中から自分に逆らう人を排除できないのと一緒と感じ、必死になるのは分かる気がします。

 逆に、西側はすでに大衆の中にコロナ感染者がいることを前提に動き出しました。いわゆる[withコロナ」。それでいいのではないでしょうか。一人の感染者も許さない、感染撲滅のために2カ月以上にわたって人々を居住空間に閉じ込めて、閉じ込められた人たちが自殺しようが、餓死しようが構わないという発想は、およそ西側の自由主義国では考えられないこと。狂気の沙汰です。今の上海は一時ほどの厳格さはないものの、原則封鎖状態は続いています。自由を謳歌してきた人たちがいる東京で、もし同じことが行われたら、どうなるか。想像するだけで、ぞっとします。

 ゼロコロナは中国の共産党というより習近平自身が強く推進している政策なんでしょう。「封城(都市封鎖)」の意味は、もちろんコロナの感染拡大を封じるという意味があるのでしょうが、そのほか、今秋の党大会を前に人々の往来を抑え、自身への反逆の動きを封じ、平穏に自身の3期目権力継続を果たしたいという思いが強いからだと思います。という意味では、今、ゼロコロナを徹底させる実質的な意味は「ゼロ反習近平」であり、習近平の続投反対派を取り締まることなんでしょうね。

 党内には、そんな習近平の狙いを察知して、反習近平の思いを抱きながらも、それを表立って言えないので、ゼロコロナ反対という形で反発する人たちがいます。彼らは、過去10年間、腐敗摘発という形で政敵を次々に葬ってきて独裁体制を築いた男が、さらに5年も10年もトップの座に居座られてはたまらないと思い、水面下で反習近平の動きを活発化させています。そういう勢力は、政治局常務委員会ナンバー2で共青団勢力のボスである李克強総理を押し上げようとして、激しい権力闘争を仕掛けています。

 ゼロコロナ政策で今、中国経済はボロボロです。今年の成長率は、インフレ分を差し引くと実質プラマイゼロになりそうです。”ゼロ”コロナが”ゼロ”成長を引き起こすとは皮肉な語呂合わせ。独裁政権であろうと、景気が良いときは、時のトップはそれなりに評価されますが、不景気になれば、国民の評価は一気に逆転。習がトップにいる理由がなくなります。選挙で選ばれた政権でないので、習はいわゆる権力保持の正当性を失うのです。

 となると、権力の正当性を示す方法って何か。経済が駄目なら、国際的な地位の向上を図ること、領土を増やし、「習という指導者はすごい」と思わせることです。で、領土の拡張と言えば、台湾への侵攻も一つの選択肢になります。プーチンが2014年のクリミア併合、その前のジョージア侵攻などで国民的支持を一段と高めたことを習近平はしっかり頭に刻んでいます。ですから、プーチン同様に台湾への軍事侵攻という冒険主義シナリオを考えることはあり得ましょう。独裁者には困ったものです。

 上の写真は、JR千葉駅前のワンショット。小生は千葉市出身ですが、千葉が「花の都」であることを初めて知りました。