つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

国家主席任期延長企ては危ない兆候

 中国では、間もなく憲法改正が行われ、その変更の目玉になっているのが国家主席、副主席の任期を取り払うこと。条文ではこれまで、国家主席などは2期、10年と決められていましたが、これを任期なしとすれば、現行指導者は極端に言えば、死ぬまで権力を保持することが可能になります。習近平国家主席がそこまで考えての変更だとしたら、あまりにもおぞましい。
 まず憲法改正の回数に言及すれば、中国は1990年以降に限っても、93年、99年、2004年としばしば憲法を変えています。それほど頻繁に変えるのはいかがなものかという感じもしますが、時の政治、経済状況に合わせて調整するのは合理的なことでありましょう。引き比べて、日本はなんと保守的なことか。戦後70年、いや今年の5月で施行から71年目となり、人間なら古希を過ぎたレアもの、時代にマッチしていないのに、後生大事に守っているのですから。
 それはともかく、今回の中国の憲法改正はどういう意味があるのか。習近平は任期10年の国家主席ですが、併せて党ヒエラルキーのトップである総書記という地位にも就いています。党のポストに関しては党規約で別段任期は設けてないのですから、国家主席を降りたとしても総書記の地位を確保し続けていれば、「党がすべての機関を支配する」システムに基づいて権力保持は可能です。
 しかし、習近平も世間体、国際世論を考えたのでしょうね。党がすべて支配する国といっても対外的に党の地位だけでは通用しない。あくまで国家機関のポストが優先されるので、「国家主席」という肩書に固執したのでしょう。香港、米国の華文ニュースを読んでいると、習は将来的に西側のような、ロシアを真似たような「大統領」制創設を考えているとされ、国家主席固執はその前触れかもしれません。
 でも、本当に彼は、国家主席10年任期が切れる2023年(党大会は前年秋)以降も権力保持を狙っているのか。もしもそんな大それたことを考えたとしたら、愚か者としか言いようがありません。終身独裁権力がどんな害をもたらすか、毛沢東時代を知っている者にはすぐに分かることです。今は文革期と違い、経済が発展し、知識人が増え、多くの人が海外に出ています。これだけ政治的、社会的に開かれた状況の中で、個人独裁など許されないと国民の多くは思うはずです。
 習近平は1期目、王岐山(前党中央紀律検査委書記)とともに、腐敗摘発という形で多くの敵対幹部を告発し、失脚に追い込んできました。そのために、矢面に立った王は恨みを買い、昨年夏段階で、「27回の暗殺未遂事件に遭った」と香港誌に書かれていました。習の周辺にもしばしば未遂事件が起きていることも明らかにされています。
 習はまた、軍事委員会副主席まで含めた有力キャリア軍幹部を告発の俎上に載せたり、老齢引退に追い込んだりしてきました。軍を知らない者が軍組織を変え、人事を壟断してきました。露骨に軍に手を突っ込んできた習に対し、軍内には不満、怒りが渦巻いていると言われます。であれば、不満分子が過激な行動に出ない保障はありません。
 文革期、毛の後ろ盾で権力を握ったいわゆる「4人組」が1997年、毛沢東死去の2カ月後に中南海の政変に遭い、失脚しました。民主的に政権変更できない国ですから、残念ながら習近平政権もそういう形で終焉を迎えるであろうことは十分に予想されます。

 上の写真は、横浜・伊勢佐木町商店街ドン・キホーテ入り口付近にある水槽のうつぼ。習も鋭いうつぼの歯にかまれるのではないか。