つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「習近平下台」と叫んだ人の秋后算账を憂うる

 中国で確か2003年ごろ、SARS(サーズ)という呼吸器障害を起こすウイルスが広がりました。香港や東南アジアでこのウイルスが見つかり、その感染者をたどっていくとどうも中国から来ている人ばかりで、発生地が中国であることは間違いないと分かったのです。ですが、地方政府の幹部は認めない。それどころか、感染が拡大しているのに、こちらは関係ないとばかりに抑制措置は一切取らなかったため、国内で多数の重症患者、死者が出ました。

 今回の新型コロナウイルスも2019年秋に武漢で、李文亮という若手の高潔な医師がその存在を指摘し、対応策を取るよう進言したにもかかわらず、地方政府が無視し、武漢で大規模に感染が広がったのです。地方政府が当初感染拡大の事態を重視しない、いや無視するのは、責任を取りたくない、仕事を増やしたくないという事なかれ主義。どうせ目に見えないものなのだから、「わしゃ知らん」ということなんでしょう。ちなみに、李文亮はコロナに対し献身的な医療活動を行い、最後は自ら感染し落命しました。

 サーズの時は、感染が中国外にも拡大し、世界的に注目されたため、胡錦濤国家主席に就任したあと大々的に制御の姿勢を見せ、なんとか収拾に向かいました。余談ですが、サーズはなぜか日本ではほとんど流行しなかったのです。このため、中国人は不思議がって、雑誌などではその理由を探る記事もありました。その記事を読むと、中国人は外と室内の履物が一緒、外から帰って手も洗わない、食事の時には皿に盛られた料理を直(じか)箸で取るなど衛生観念が希薄だからなどという解説でした。

 新型コロナウイルスも当初の地方政府の無視姿勢から、習近平主席が一転抑制姿勢を取り、「封城(都市封鎖)」という策に出ました。最初は感染を隠蔽し、対応策を取らないのに、中央がその事実を認めて対策に乗り出すと、今度はやたら強硬になる。その変化のブレに驚かされます。数か月にわたり誰も住宅の外に出さないという超過激な策は、日本ではありえない、統制国家独特のものでしょう。でも、武漢で行われた最初の封城が一定の効果を上げたので、この成功例に酔った習ら中央幹部は2022年になっても続け、ついに上海という大都市にまで武漢と同じことをやり始めたのです。

 でも、人間には我慢の限界がある。封城を長期にやれば、他人との接触がなくなり、食事も制限されるためストレスが溜まり、精神に異常を来たす人も出てきます。上海では、高層ビルから飛び降り自殺する、首吊りするといった人が多く出て、それらは動画として撮られ、SNSで拡散されました。過激なその封城措置は今でも全国的に普通に行われているのです。同じアパートで2,3人感染者が出てだけで、そのアパートの住人全員を突然1週間も隔離されるといった措置が取られる。これでは、だれでも怒りが頂点に達します。

 前週に全国的にあった大衆のデモ、抗議行動はこの封城、過剰なPCR検査への反発が原因でした。「もういい加減にしろ」という人民の叫びです。束縛を嫌う小生などからずれば、察するに余りあります。中国人もついに立ち上がったのか、頑張れと応援したくなりますが、ただ、中国には「秋后算账」という嫌な言葉があります。「あとでケリをつける」という意味ですが、共産党政府はよくこの手を使います。

 ゼロコロナ反対の中で過激に「共産党下台、習近平下台」と叫んだ人たちが、事態収拾後に秋后算账されないか、後で報復されないか心配です。ですが、今回は民衆の習、党中央への反発が澱のように内在化しており、そう簡単に収拾できない感じがあります。

 上の写真は、みなとみらい地区の汽車道にある紅葉、下の方は同地区の花壇で見かけた花。