つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

イスラム国の過度の国民縛りは良くない

 WCサッカーの開催国カタールでは法的にも道徳的にも同性愛を認めていないということで、欧州諸国チームの選手らがピッチの中で反発の意思を示しました。これに対し,FIFAのインファンティーノ会長は、同じ欧州のスイス人でありながら、この抗議の意思表示自体に疑問を呈していました。では、お前はどちらに味方するかと聞かれれば、小生は自由主義者であるので、自らの意思表示についても自由であるべきで、一定程度認めてもいいと思います。欧州チームがピッチの中で腕章を巻いたり、リボンを付けたり、ピッチに入る前に跪いたりするくらいの控え目な意思表示であれば、許されていいのではないか。

 ただ、踊りとかシュプレヒコールとかで一定のスペースと時間を取って激しい抗議行動をするのはいかがなものか。選手はイスラム国で開催することを承知して参加しているのですから、わざわざその国の反発を買うような行動を取るべきでない。選手が不快と思うなら参加を見合わせてもいいのですから。大麻禁止国のグランド上で「我が国では大麻は認められているので、俺はこの国でも吸う」などと言って大麻吸引のアピールをしたらどうだろう、それは認められるものではないでしょう。

 グランド上で一定のスペースと時間を取る儀式となると、ラグビーニュージーランド(NZ)代表が試合前に行う「ハカ」があります。あれはNZの先住民が戦いの前に自らを鼓舞する儀式であり、特別政治的なメッセージがあるわけではないし、相手チームも同様パフォーマンスをする場合もあるのでおあいこ。だから許されているのでしょう。もしNZチームが試合前にあれをやらなかったら「クリープのないコーヒー」「辛さのないトムヤムクン」「神輿の出ないお祭り」みたいになり、逆に観客は白けてしまいます。

 カタールイスラム国であるので、国教であるイスラムの教えから一定の法制度が決められており、その中身が欧米などと違うことがあると思います。日本だって死刑制度を持っており、欧州とはいささか価値観と違うので、同制度に反対する欧州からは異端扱いされています。だから、自国の価値観が最高として絶対視し、これ以外は野蛮だとして、必要以上に他国の制度に口を挟むようなことは慎むべきだに思います。19世紀の欧米植民地主義者が支配地に強制的に価値観を持ち込むような仕儀で、横暴と見られても仕方ありません。

 それでも、敢えて言わせてもらえば、イスラム諸国には極端な女性差別があると思うし、それを保証する法制度は問題だと思います。最近、イランで起きた騒動の発端のように、女性が頭にスカーフを巻くことに警察が過度に干渉することが必要なのか。全国民がイスラム教の信者でないのだから、イスラムの習慣で全国民を異常に縛ることは問題だと思います。非信者には選択の自由があってもいいでしょう。イランでは「宗教警察」なる組織があって、デモに発砲、200人以上の犠牲者が出たのは驚きです。正直なところ、こんな国に生まれなくて本当に良かったと感じます。

 インドネシアでも最近、イスラム慣習に基づいてかなり道徳的に国民を縛る法律を成立させました。自由主義者の小生はいかがなものかと思います。あまり道徳的な人間でないものですから、イスラムの国には金輪際住めません。

 上の写真はみなとみらいモールの中のクリスマスツリー。下の方は、小生の自宅近く吉田町ショットバー街裏の公園にあるメタセコイアの電飾。