つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

なんで理由なく「人を殺したい」と思うのか

 何が分からないと言っても、名古屋大学の女子学生が理由もなく「人を殺したい」と思い続け、実際にそれを実行したこと以上のことはありません。本来、殺人を犯すのは、利益を得るか、恨みがあるかなど一定の動機があるもので、それ故に推理小説のプロットが成り立っているのですが、ただ単に人を殺したいではあまりにも味気なさ過ぎて、言葉になりません。
 名大女子学生に限らず、前にも長崎県佐世保市でも同様の事件がありました。共通しているのは、犯人がいずれも女性であり、かつそれなりにIQの高い頭脳を持っているという点です。そもそも人を殺したいというのはどういう気持ちから生まれるものなのか。小生はこれまで不愉快に感じた人に対し殴りたいと思ったことはありますが、殺したいという感情にまで至ったことがないので、理解できない世界です。
 愚推するに、小中学校時代の道徳教育の欠如なのでしょうか。礼儀、生活マナーなどを教えることがあっても、人命の尊重など根源的なことは教えられていなかったのかも知れません。あるいは、道徳教育そのものを受けていなかったのか。彼女らの家庭教育に問題があったのか。それとも、ハメルンの笛吹き男のような、文明社会の到達点に起こり得る一種の破滅的社会現象なのでしょうか。
 世間がどう見るかと言えば、やはり学校教育より家庭教育の欠如と見るでしょう。小生には子供がいないので、大胆に言わせてもらえば、親の責任は大だと思います。他人を殺すというのはどういうことか、罪に問われるなどという単に物理的な問題でなく、人間はなぜ生きるのか、どう生きなければならないか(共生の意味も含めて)という哲学的なテーマとして、親はしっかり子供を教育していかなければならないのでしょう。
 それにしても、周囲にこういう殺人願望の人がいたら、やはり怖いですね。イスラム国兵士のような凶暴そうな男ならまだ警戒する余地がありますが、かわいい、きれいな女性が実はそういう傾向の人であったら、防ぎようがありません。小生も含めて一般に、男性は女性に接近したがり、しかも大甘の感情を持っていますので。
 過去に、この名大女子学生の周囲にいた男子が薬を飲まされ、死は免れたものの失明状態にあるとか。2人の間に感情的なもつれがなかったとしたら、その男性は女子学生から危害が加えられるなんて夢にも思わなかったでしょう。ですから、男性は後日「理由なき殺意」の事実を知ったとき、理不尽さに怒るばかりでなく、心底恐怖心を感じたに相違ありません。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区で休日に行われる大道芸パフォーマンス。