つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

DNA最高裁判断は常識的な線

 DNA鑑定に基づく親子関係の是非を問う注目の最高裁判決は、「DNA鑑定だけでは父子関係を取り消せない」という現行民法の枠を重視したものとなりました。小生は、判決前から恐らくそういう"保守的な"判断になるだろうと予測していましたが、案の定でした。確かにDNAだけで家族関係の構成を考えてしまったら、親の扶養義務、権利、遺産など民法上の項目が多方面にわたって影響を受けますから、こういう判断しかなかったのだと思います。
 それにしてもDNA鑑定というのは残酷なものです。タレントの大沢樹生氏が10数年も一緒に暮らした息子がDNA上実子でないということが分かり、泣く泣く別離の道を選び、大きな話題になりました。前にも書きましたが、DNA鑑定などなかった時代なら、そういう悲劇は起きなかったはずです。
 DNA鑑定などなかったころ、よく「うちの息子は夫に全然似ていない。むしろ隣のご主人にそっくり」などという笑い話がありました。(当事者にとっては笑い話では済みませんが、、)昔から、「子供は母親にとっては(自らの腹を痛めるので)真実だが、父親にとっては信仰にすぎない」などと言われていました。それでも、疑いは残っても、真実を確認するすべがなかったので、ほとんどの父親は我が子として育てたわけです。
 民法上は「婚姻中の妻が妊娠した子は夫の子供と推定される」と書かれています。この条文で面白いのは「夫の子供と推定される」としているところで、DNAなどなかった時代でも、「夫の子供だ」と断定的に書いていません。つまり明治時代にできたような民法でも、妻の不道徳的行動がありうる、夫以外の子種であることがありうるということを前提に文章上の”逃げ”をうっています。
 今回の最高裁判断がこれまでの民法を踏襲する形であることは致し方ないことなんでしょうね。特に昨今、男性ばかりでなく、既婚女性の貞操観念欠如、不道徳性が顕著になっていることからすれば、こういう問題は頻発します。そんなとき、いちいち妻が「これは夫の子供でない」などを理由に、親子関係を壊していたら、家族を前提にした民法は成り立ちません。そういう意味では、今回の最高裁判断は無難で、大方の支持を受けるものと思われます。
 それにしても、自分以外の男性の子種で妊娠、出産した妻の不道徳が知りながら、なお「しばらく一緒に過ごして、愛情もあるこの子供は自分の子供だ」と父子関係の維持を主張する原告の男性は立派だと思います。狭量の自分だったら、とっくに離婚しているのにと思うからです。家族とは血縁なのか、それとも愛情なのか、本質的なテーマを突きつけられているような感じがします。

 上の写真は、神田駅前の居酒屋で、余興に津軽三味線を演奏する大学の教え子。青森県出身の彼女は今は3年生ですが、1、2年生の時に小生の中国語クラスにいました。中国語の成績も優秀でしたが、津軽三味線の腕も一級で、若手のコンクールで最優秀賞を獲っています。卒業後はプロを目指すそうで、酒好きな講師仲間5人で励ましに行きました。