つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「武力で平和は守れない」なら何で守るのか

 先日、5月恒例のメーデー集会の模様をテレビのニュース番組が伝えていました。まあ、参加者はいわゆる労組の人、左翼系の人が多いのでそれほど意外ではなかったのですが、「武力で平和は守れない」というプラカードを持っていた人がいたので一言いいたくなりました。正直、この人に改めて問いたい「では、平和は何で守ったらいいんですか」と。「憲法9条があれば平和が永久に望めるのですか」と。ウクライナ人は戦争など少しも望んでいなかったでしょうが、ある日突然ロシアに侵略されたんです。

 侵略国は相手の国の人民の意思、憲法など忖度しません。で今回、ウクライナ人が武力で対抗しなかったら、首都キーウが占領され、全土をロシアに蹂躙され、人民は奴隷状態に置かれるんです。キーウ近郊のブチャがロシア軍に占領され、略奪、強姦された事実をお忘れか。いわゆる「ブチャの虐殺」です。武力で抵抗しなければ、永遠にロシアの圧政的支配が続いたのです。「武力で平和は守れない」と言う人はこの現実をどう説明するつもりですか。もろ手を挙げれば、平和が来るというのは幻想です。”降伏”しても”幸福”にはなれません。略奪、強姦は続くのです。

 残念ながら、自民党と連立政権を組む公明党も「平和を望む者が武器を持っていいのか」という観念的な平和主義者が多いようです。もっと近現代史を勉強して欲しいと思います。公明党系じゃないけど、同じ日蓮宗系の団体ではうちわ太鼓をたたいて「ナムミョウ…」と拝んでいれば、平和が来ると信じている人たちもいる。なんとおぞましいことか。現在進行中の情勢を見て欲しい。一般人は普通平和を希求するけど、プーチンなど好戦的なロシア人、ハマスイスラエルの戦争好きがいる限り、祈念するだけでは平和はやってきませんよ。

 では、どうしたら平和が来るのか。それはあなた方が攻めてきたら、こちらもそれ相応の武力を持っていますから、それで抵抗します、そちらにも相当な被害が出ますよという「武力の均衡」が必要なのです。国際関係論で言うところの、パワーバランスが平和を維持するのです。馬鹿な観念的平和主義者は「武力を持つことは危険だ、すぐに使うから」と考えるのですが、それこそ危険な考え方。武力を持つことは相手に使わせないという抑止的効果の意味合いが大きいのです。一方的に武力保持を止めたら、他国に影響力を発揮しようとする国家に蹂躙され、国家の独立性は保てません。

 こうした国家の安全保障感覚は、ウクライナ戦争でロシアの侵攻を見た今、日本人の8割以上の人が共有、非武装なるものの危険性を感じ、一定の武力の必要性を認識しているものと思われます。でも、一部には相変わらず、「武力で平和は守れない」という類いのおめでたい人たちがいることも事実。立憲民主党は恐らく7割以上はパワー均衡論を支持し、武力の保持を認めていましょうが、まだ2割以上は旧社会党の「非武装国家論」を引きずって軍事力悪、自衛隊悪と言い続けている人がいると思われます。

 まあ、日本は中国、ロシア、北朝鮮などと違って、自由な考え方、思想を持つのが許される国ですから、いろいろな考え方があっていいのでしょう。でも、パワー均衡論の思想を持たない政党、いや少しでもそういう均衡論に反対で、非武装信仰の議員がいる政党が政権を取るのだけは止めて欲しい。彼らは確実に独裁大国になびき、かの国の独裁者の言うなりになってしまう恐れがありますから。

 そこで、本題に入りますが、先日、どこかの世論調査で、「自民党政権に代わって立憲民主党が主体となった政権が望ましい」と回答した人が5割近くいたとか。立民議員の中には、旧社会党系もいて、パワー均衡論にくみしない議員がいます。加えて、選挙で、武力保持を考えない、いや否定的でもある共産党などの支援を受けたのであれば、彼らの意向も汲む政権となり、大変恐ろしい事態になってしまうでしょう。

 政権交代では、あくまで国家の安全保障で共通認識を持つ政党の中から考えて欲しい。単に、自民党は裏金をネコババしてけしからんという視点だけでの自民党拒否、それだけでの政党選択は危ないです。自民党を嫌うなら同じ保守系政党はいくらでもあるのですから、即オータナティブに立民を選択するのはいかがなものかと思います。

 上の写真は、小生の自宅近く野毛山動物園前の歩道橋から撮った富士山。下の方は先般関西方面に行く時に新幹線の窓から撮った一枚。