つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

夫婦別姓は世界の趨勢、認めるべきだ

 夫婦同姓の義務付けは憲法違反という訴えがあり、最高裁大法廷が12月にも最終判断を示すようです。小生、このブログでかなり前にもこの問題に触れましたが、基本的に夫婦別姓に賛成しています。その理由は単純。別姓を認める方が同姓を義務付けるより社会生活上の不便さがないからです。
 別姓を主張する人たちは、夫婦同姓を完全否定しているわけではありません。「同姓を望む人はそうすればよい。望まない人には別姓を認めてくれ」と言っているだけなのです。同姓賛成派の多くが理由に挙げている「家族の一体感が必要」と言うなら、その必要性を感じる人たちは、自由に夫か妻の姓に統一すればいいだけの話です。
 小生自身は経験がないので分かりませんが、想像するに人生の途中で姓を変えるのは煩わしいと思います。免許証やパスポート、さらには契約書の手続き、職場、仲間うちでの呼称など問題は数知れず。我が内人は専業主婦なので特にそういう不便さは感じないようですが、働く女性、社会的地位を持つ女性は困るでしょう。氏名はしょせん個人を特定する記号であるならば、一生不変であることの方が好ましく、結婚という法律上の形でいちいち変える必要はないと思います。
 ましてや、今後われわれすべてにマイナンバーという個人記号が付けられ、氏名などにかかわらず番号で特定化されます。それなら姓名は生活上便利な方がいい。学校時代の女性の友人が姓を変えても、われわれは結婚後のその姓に親しみが湧かないのですから、勢い旧姓で呼びたくなります。それなら、法的にもずっと通していた方がいい。
 いや、便利論だけでなく、人間の尊厳論からしても人生途中での姓改変の義務付けはいかがかと思います。結婚は家と家の間のことでなく、人と人との間のことですから、本来結婚の有無にかかわらず、個の尊厳は守られるべきです。特に昨今、かなりの人が再婚、再再婚を繰り返しており、その都度姓を変えたら、さまざまな不都合が生じましょう。
 今、世界の趨勢は夫婦別姓も認める方向に進んでおり、小生はぜひ日本もそうなって欲しいと思うのです。我が国最高裁大法廷は世界の動きに準じるのか、家制度を主体とした明治時代の民法固執するのか、最終判断が今から楽しみです。

 上の写真は、松江市松江城お堀近くにある小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の旧宅。彼は日本人妻とともに武家屋敷を借りて住んでいたようです。