つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

夫婦別姓、容認派が多数なら再考すべきだ

 内閣府の「家族の法制に関する調査」によると、選択制夫婦別姓の導入について容認派が2012年前回調査時より7・0ポイント上昇して42・5%に達し、逆に「絶対反対」は7・1ポイント下がって29・3%との結果が出たそうな。容認派が反対派を初めて上回りました。小生は戦後民主主義の中で家制度がなくなった現在、夫婦同姓である必要性はないとずっと思っていましたが、若者たちを中心に世の中は徐々にその傾向を強めているようです。
 サイボウズというソフトウェア開発会社の青野慶久社長は、たまたま結婚時に法的には妻の姓を取ったが、その後日常的には従来の姓名を名乗ってきたところ、これで相当な「不利益を被ってきた」とのこと。今年1月早々、夫婦別姓を求めて東京地裁に提訴しました。彼が言うには、銀行口座や免許証、パスポート変更、さらには株券の名義書き換えで81万円相当の余計な出費を余儀なくされたそうです。
 日常的には従来の名を名乗れても、法的には本当の姓名ではないので、そのギャップは煩わしいと思います。特に結婚して共働きする場合、女性が法的に夫の姓を名乗るケースが多いので、社会進出している多くの女性で恐らく困っている人は多いでしょう。通称と法的な名前のギャップだけでなく、法的姓を名乗り続けたら、姓が変わるごとに結婚、離婚歴が分かってしまうという難点もあります。
 なんで結婚すると、同姓にしなくてはならないのか。中国方面に長く暮らしてきて、中国人の夫婦別姓を見てきた小生からするとその必然性が理解ができません。同姓論者は、家族は一体感が必要だとか、子供がどちらの姓を取るかで困ってしまうと言いますが、これは選択制であれば解決できます。一体感が欲しい人は同姓にすればいいだけのこと。これは強制的な別姓制度を求めているわけではないのですから、好きな方を取ればいいのです。
 でも小生から敢えて言わせていただければ、夫婦で別姓だと家族で一体感がなくなるという論理もおかしいなと感じます。苗字が一緒だと逆に一体感が生まれるのかと聞きたくなってしまいます。新民法はあくまで個を大事にするという観点に立ち、名前は個を識別する便宜的なツールという見方に立てば、一生名前は変わらない方が良いのではないかと思います。
 最高裁は2015年に夫婦同姓を定めた民法750条を合憲とし、変える必要はないとしました。でも、これは、2012年調査の別姓容認派35・%、反対派36・4%の世論調査をある程度反映した判断。容認派が4割以上で多数を占めるようになった今、もう一度この問題は吟味されてもいいように思います。

 上の写真は、1月末、中国駐在記者経験のある仲間が会合を持ったときの乾杯。