つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

玉城知事の発言は専制国家への迎合だ

 本日は沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日で「慰霊の日」とされています。日米合わせて、一般住民も含めて20万人以上が死んだ事実があれば、戦後79年たったとはいえ、大々的に慰霊するのは当然かと思います。ただ、一つ残念なのは、NHKのニュースを見てもそうですが、参加者へのインタビューで「戦争は嫌だ」「二度と戦争を起こして欲しくない」などと単に”戦争反対”論しか言わせないこと。これでは、今、ロシアの侵略に抵抗して祖国防衛戦を戦っているウクライナ軍が可哀そう。彼らに今、「戦争はいかなる場合もダメ。抵抗は無駄だ、即止めろ」と言えるのでしょうか。

 小生はこのブログで再三書いているように、戦争には侵略戦争と防衛戦争があると思っています。防衛戦争まで否定されてはたまったものではない。国家の防衛は正当の権利であり、国民の義務でもあります。われわれは自由、民主主義、人権の擁護という素晴らしい政治制度を持っている国民、それを自由、民主、人権もない専制国家の独裁者の支配に委ねていいものか。冗談じゃない。こうした国家が現状変更を試み、日本の領土、領海を蹂躙しようとするなら、われわれは断固戦うべきです。

 それで今回、気になったことが一つ。沖縄県玉城デニー知事が本日読み上げた平和宣言の中で、「沖縄では自衛隊の急激な配備拡張が進み、県民は強い不安を抱いている」という発言をしたこと。小生に言わせれば、「ええー、なんで」という感じです。この発想を深堀りすると、中国は今、尖閣諸島東シナ海全域支配を狙っているけど、日本は弱小国なので自衛隊の防衛力などを強固にする必要はない、大国の中国の言いなり、やりたい放題を認めればいいじゃないかという感じを受けてしまいます。

 県民は本当に「自衛隊の配備拡張」に強い不安を感じているでしょうか。小生も沖縄県民の友人が何人かいますが、自衛隊の増強に強い不安を覚える人はいません。むしろ、日本が無抵抗であることを奇貨として中国がますます沖縄県周辺の権益を冒してくることを不安視しています。友人の中には、「日本は心もとない。だから、沖縄はずっと米国の施政権のままで良かった」「沖縄が米国領であったら、グアム島と同じようにちょっかいを出す国などなかったでしょう」などと、50年前の沖縄の祖国復帰にまで疑問を呈する人もいます。

 米国の施政権のままでいいというのは極論だと思いますが、今の日本のぶざまな姿勢を見ると、分からなくもありません。東シナ海海上中間線付近に撒かれた中国のブイは除去できないし、尖閣諸島を遊弋する中国の警備艦船にも十分な対応を取っていない。中国という国は相手が弱腰に出ると図に乗ってますます押し込んでくる習い性があります。自衛隊幹部OBが言うところの、徐々に自らの権益を広げる「サラミ作戦」が得意なのです。これには、われわれは断固として力で対抗し、防衛意志を示さなければなりません。

 面白いことに、中国は逆に強気に出てくる国に対しては敬意を表し、それなりの対応をするのです。という視点で見ると、玉城知事が自衛隊の増強を否定するような発言をしたことは誠にいかんと言うか、不見識と言うか、非常識と言うか。中国は知事の発言を聞いて、「沖縄県がそういう認識を持っているのならば、工作員を送って独立運動を扇動し、『中華人民共和国琉球自治区』設立を画策しようか」という怪しい思いにとらわれるかも知れません。玉城知事が少なくとも日本国民であるのなら、専制国家に迎合するのは止めて欲しい。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区の風景。ウィークデーなので、コスモワールドのメリーゴーラウンドに子供たちはいませんでした。

www.youtube.com

 ウクライナの国歌。祖国を守ることがいかに大事か。日本人もこの国歌の歌詞を噛みしめてみよう。