つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

寂聴が言う「戦争に良い戦争はない」は正しいか

 先日の日曜日朝、TBSの情報番組サンデーモーニングは、墓名碑という企画で今年死んだ人を取り上げていました。その中に瀬戸内寂聴が出てきて、2015年、あの安保法制の国会審議の時にわざわざ国会周辺まで出かけて行って演説している風景が映し出されました。そこで気になったのは、彼女が「戦争に良い戦争というのはない」と言っていたこと。果たして、そうなのか、そう言い切っていいのかと思いました。小生はそう思いません。「他国に踏み込む侵略戦争に良い戦争はない」と言うのであれば、理解できます。でも戦争は必ずしも絶対悪ではありません。

 かつて私立大学で国際関係論という授業を持っていたのですが、戦争の問題に触れる時に、小生は最初に学生に対し、「戦争が絶対悪だと思っている人は手を挙げろ」と問いました。かなりの人が手を挙げますが、これは杓子定規の反応。高校まで左翼系の先生に教えられた悪しき傾向です。だから、小生は改めてこういう問い方をしました。「君は誰かに理不尽に殴られそうになったら、何の抵抗もしないのか」。男子学生に対しては「もし傍にいるガールフレンドが暴漢に襲われそうになったら、君はただ何もせず、傍観しているだけか」と。

 この質問には学生は少しは真剣に状況を考えるようになります。そして何人かは「そんな時には抵抗します」と答えます。「では聞くが、それは戦うことじゃないのか。闘争、国家で言えば戦争ではないのか」と付け足すのです。日本は過去の反省から、絶対に他国の領土に踏み込む侵略戦争をしてはなりません。だが、こちらが望まないのに、他国が我が領土に踏み込んで来る可能性は否定できません。現に、日本が実効支配している尖閣諸島を奪いに来ている国があります。

 かつてはナチスドイツがポーランドにいきなり侵攻したり、日本も中国大陸に利権を求めて進出し、軍事占拠したりしたことがありました。1990年代初めにはイラクが隣国のクウェートに突然攻め込みました。2014年には、ロシアがウクライナの領土クリミア半島を「国民投票の結果」として占拠したほか、今でも両国国境に10万人の軍隊を配置して、ウクライナでロシア人が多く住むドネツク、ルガンスク両州の占拠を狙っています。こうした領土の現状変更に対し、国民として傍観できるのか、「われわれは戦争が嫌いなので、抵抗しません。どうぞご勝手に」と言えるのか。

 それで、小生は授業で「戦争には防衛的な戦争もあるんだ。これって悪い戦争ですか」と話していました。戦いがすべて悪いというのなら、鎌倉時代、モンゴル軍の来襲に対し北九州で戦った武士団だって、祖国解放のためにナチスと戦ったフランスのレジスタンスだって、東欧のパルチザンだって悪者になってしまう。だから、寂聴の演説は安全保障をまったく考えない、情緒論でしかないのです。情緒論は分かりやすいのですが、ある意味非情であり、危険な要素を持っています。まあ、男性経験が豊富で、情緒だけの人だった寂聴先生に国家の安全保障を理解してもらおうと思っても無理かも知れませんが、、。

 民主主義と自由を謳歌している台湾に中共軍が攻めてきて全島を占拠、「これからは共産党が支配して選挙も自由もなくすぞ」と台湾人民が言われて「はい、そうですか」と従えますか。そうはならないでしょう。必ず抵抗します。あのミャンマーだって軍事政権が理不尽にも民主主義を破壊したので、今、人民は銃を持って立ち上がり、レジスタンス運動を展開しています。民主主義が最高の政治形態だと国民の多くが信じているならば、この抵抗運動は正義の戦いであり、良い戦争なのです。

 上の写真は、初冬に町田市郊外にハイキングに行った折に見た銀杏の紅葉と万両の実。