つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「逃げてもいい」という橋下徹論は賛成できない

 またまた、ウクライナの話で恐縮ですが、プーチンロシア正教のクリスマス(1月7日)の時期に停戦をしたいとウクライナ側に申し入れたとのこと。これも嗤い話(嘲笑)でしかないですね。勝手に隣国に侵攻し、わが方はクリスマスを祝いたいのでしばらく戦いを休もうと提案するとは、冗談を通り越して噴飯もの。頭がおかしいのではないかとさえ思ってしまいます。頭がおかしいと言えば、プーチンは今、すい臓がんなどいくつかの重症の病気を患っており、あの世に行くのもそれほど遠くないと英国の医者が見立てているとネットで流れています。これも、希望的な観測なのでしょうが、正直、できればそうあって欲しいと世界の9割9分以上の人が思っていることでしょう。

 ゼレンスキー政権は戦争開始後、18歳から60歳のウクライナ国民男子は出国禁止、国にとどまって戦えとの指示を出しました。これに対し、コメンテーターの橋下徹は昨年、盛んに「ウクライナ人にも逃げる自由がある」と逃亡を奨励するようなコメントをしていました。もちろん、作家の百田尚樹など保守系論客は橋下発言を「おかしい」と批判しています。で、小生の意見をどうかと問われれば、やはり逃げるのはおかしい、祖国にとどまって戦うべきだという論に与します。もともと小生は、橋下氏の多くの論に与する立場にいたけど、こればかりは賛成できない。

 かつてある私大で国際関係論の授業を持っていた時に、「日本が他国に侵略されたら、君らはどうするか」と学生に聞いたことがありました。すると、ある学生から「米軍に戦ってもらう」との返答。これで十分あきれたのですが、「もし米軍が『日本人が祖国防衛のために戦わないのに、どうして我々が戦えるのか』と言ったらどうするか」と追い打ちをかけたら、「では、自分は外国に逃げたい」との返答でした。これで、小生は口には出さないものの、あきれの極限です。「では、君はどこに逃げる気か。祖国を守れないような逃亡者をどこの国民が歓迎してくれるか」と聞くと、もう返答はありませんでした。

 で、国家、領土の役割について再度学生に説明します。国家というのは領土があって住民がいて共通の制度があること、我々が好み選んだ制度を保障してくれる単位なんだ。君が心底自由と民主主義を好むなら、その共通制度の下にいる民族同胞を守る義務があるのではないかと言います。いやもっと露骨に「他国に侵略されれば、略奪され、殺されることもある、それでも良いのか」と訴えます。これで多くの学生は納得するのですが、それでも疑問を持つ人も。自分勝手な行動を許した日教組教育の結果でしょうか。今なら、ウクライナでのロシア軍のケースを例示できるので、もっと納得してくれる人が多いでしょうが……。

 自由と民主主義など要らない、飯が食えればどこでもいいと考える人、他国でも、専制主義の国家でもいいと考えている人は確かにいるのです。で、小生は昔シオンの地を追われて世界に散ったユダヤ人がその後どれだけ苦労したか、最後はナチスに虐殺されたではないか。今でも祖国を持たないロマ人、クルド人ロヒンギャがいる、彼らが迫害を受けて苦労していることを君らは知っているのか。専制主義の国では自由に自分の意見を開陳できないぞ、それでもいいのかと訴えます。国際社会の現実を見ることが、どんなに大事なことか、次の世代に教えなければならないのです。

 ウクライナ人はキーウ近郊のブチャでロシア軍による大量虐殺を目撃しました。同胞いやもっと身近にいた人が殺され、乱暴された。それでも我関せず、知らずとほいほいと逃げられるものか。通常の感覚を持つ人であれば、侵略者を追い出すために戦うのではないか。祖国はだれのものなのだ。民主主義国家であれば、権力者のものではない、我々自身のものなんだから。だから、橋下氏に改めて聞きたい。国民が逃げてウクライナの地をロシア軍に委ねていいのか。ロシアが自由と民主主義の国ならまだしも、プーチン独裁の国、そんな国に支配されていいのかって。

 ウクライナ戦争は明らかに主権国に攻め入った侵略戦争。ロシアの知識人ならば、すぐに分かること。であれば、侵略戦争に加担したくないと思うロシア人が逃げるのは分かります。でも、愛する祖国が蹂躙される、しかも素晴らしい政治、社会制度を持つ自国が他国の勝手にされそうな時に、逃げるのはどういう料簡か、どう考えても賛成できません。

 上の写真は野毛呑み屋街のバーの店頭風景と伊勢佐木町モール「ドンキホーテ」の店頭水槽にいるうつぼ。世界はこうした嫌な生物、邪悪な国家が虎視眈々と他国を狙っているのです。