つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

侵略戦争と祖国防衛戦争を一緒くたにするな

 今、中国では5年に一度の党大会を開催しています。恐らく大会終了後の中央委員会第1回総会で習近平の3期目の総書記続投(すなわち来春の国家主席続投)が決まることは間違いありません。権力者が勝手にルールを変えて自らその地位を継続するのはいかがわしいし、中国人のほとんどが望んでいないでしょう。でも、プーチンもそうですが、権力者というものは何でもしてしまうんですね。裸になっても恰好がいいと思うと、裸で外を歩いてしまう王様のような身勝手で強圧的な権力者の支配が最低あと5年継続してしまうんでしょうか。

 習近平はその党大会で再び「台湾統一は使命」みたいなことを声高に叫んでいます。台湾人民からすれば、余計なお世話だし、いい迷惑でしょう。自由と民主主義を謳歌している台湾が自由のない国の独裁者の軍門に下ることを良しとしますか。ありえないことです。「台湾統一は一国二制度で」などといまだに言っていますが、一国二制度は1950年代のチベット、そして最近の香港でも化けの皮がはがれ、いかにまやかしの言葉であるかということが、世界に知られてしまいました。それでもまだこの言葉を使うとは、ある意味驚きです。

 台湾人民はそんな言葉に騙されない。だから、習近平は最後には「文攻武嚇(言葉で攻め、武力で脅す)」という戦法を使うのでしょう。相手のことを考えずに「好きだ、好きだ」と女に強引に迫り、挙句は隙を見てレイプまでしようとするとんでもない男と同一です。非難されてしかるべきですが、でも所詮、世界は取り締まる力がないアナーキー(無秩序)な社会です。力はあればその無理筋が通ってしまうことは、ロシアがウクライナに侵攻し、軍事占領したことでも証明されています。そう、国際社会は軍事力がすべてなのです。

 昨日、ある酒席で議論になった人は「ウクライナ人民も戦争を望んでいないのだから、今すぐ両国は話し合って戦争を終結させるべきだ。ゼレンスキーも悪い。もっと話し合いの努力を」みたいなことを主張していました。で、小生は「じゃー、どういう形なら話し合いが妥結するのですか。今、ロシアが軍事占領しているところはすべてロシア領になってもいいってことですか。それで、ウクライナ人民は納得するのかな」と切り込んだところ、それに対する明確な返しはなかった。だれでも戦争は嫌です、だが国を奪われるのであれば、戦わざるを得ない。

 侵略軍が入ってきて自国の一部が占領された場合、国のトップが「わが国は弱いですから、この程度の割譲で許してください」などと言えるのか。ウクライナ政府はそういう話し合いに応じられるのか。100歩譲って侵略軍の国が自由と民主主義国を標榜する素晴らしい国ならまだそれもありでしょうが…。ただ、イェール大学のブルース・ラセット教授は「民主主義国同士の戦争はありえない」と言っているように、民主主義国は普通、他国を侵略することはない。他国を侵略する国は、国内世論を厳しく制限する独裁国だけなのです。

 戦争には侵略戦争と防衛戦争の区別があります。かつての日本、ドイツのように他国に攻め入る侵略戦争は二度としてはならない。だが、他国が一定の意図をもって軍事侵攻してくるのなら、それは断固排撃しなくてはならない。自由と民主主義という素晴らしい体制を守るために軍事力で対抗しなくてはならない。すなわち、防衛戦争は正義です。すべての戦争を否定したら、ウクライナのように、独裁国の専制主義の下に入って生きなければならなくなる。いや、それどころか、ウクライナの占領地で見られたように虐殺に遭う恐れもある。そんな理不尽なことを避けるために、日本も断固防衛力を高めておく必要があるのです。

 上の写真は、静岡県下田市の港付近で見た、かつての遊郭跡地の風景。