つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ウクライナ市民の暖房具、入浴が心配

 新しい年を迎えて元旦夜中、自宅マンションの目の前にある成田山横浜別院に初詣でに行きました。ぱっと見たところ、昨年より人出が少ない。でも、千葉県生まれの小生としては成田山にこだわりたいのです。そのあと、近くの伊勢山皇大神宮にも回りました。皇大神宮は横浜最大の霊場であり、さすがにこちらの方は社殿に入る階段下の車道まで長い列ができていて、その車道に連なった露店の食べ物屋も賑わっていました。普通の横浜人はやはり成田山より皇大神宮にこだわるのか。

 それはともかく、ウクライナの戦争もついに12月24日で開戦10か月となり、年明けとなって丸1年に迫っています。われわれ父母の世代は戦争に苦しめられた世代。鉄道員として鉄道維持のためシャバに残っていた父親は終戦近くになって召集され、母親は娘2人を連れて埼玉の実家に帰って避難生活を送っていました。実家といってももう親の代から兄の代に代わっており、子供も多い。だから、母娘3人で他家暮らしするのは大変。農作業を手伝いながら遠慮しいしい1年以上厄介になっていたようです。

 戦前生まれの姉たちはその田舎の避難生活を子供心に覚えており、戦争を肌身で感じた世代です。姉の夫たちも避難生活を送っていたとか。一番上の姉の亭主は、東京から富山に学童疎開し、ものすごいひもじい思いをしたと話していました。その点、戦後生まれの小生らは戦争のせの字も知らない。確かに、今のように豊富な食べ物があったわけではないが、ひもじい思いをした経験はない。甘いものは十分手に入った。だから、戦争を経験したかどうかというのは、人生の経験知という点ではかなりの違いがあるのでしょうね。

 ウクライナ戦争では、ロシアが無差別のミサイル都市攻撃をしているので、子供も多く死んでいます。ひもじさというのは一時の我慢で済みますが、死というのは永遠にその子供の未来が絶たれることです。哀れさと悲しさが募り、胸が張り裂ける思いがします。21世紀にもなってなんでこんなバカな戦争に巻き込まれるのか、死んでいく子供たちは永遠に理解できないでしょう。間一髪で生き残る子供たちも強烈な戦争の経験知を持つことでしょう。

 昨今の情勢をしみじみ見ると、プーチンはすでに戦争の最終目標を見失っているように思えてならない。自らの号令で始めた以上、面子があるので止められないということか。だとしたら、単なる自分の名誉のためとしか思えません。NATOがバックにいてウクライナ全土を支配することはできないと分かった以上、もういい加減、軍隊を戦争開始前のところまで退去させたらいいと思うけど、プーチンはまだ戦争継続にこだわっています。それどころか、ウクライナ市民いじめを始めている。

 それはウクライナ市民の厭戦気分を誘うためか。生活困窮を招くように水道、電気設備といったライフライン攻撃に躍起になっている。ソ連時代の同胞である人民を苦しめることがそれほど必要なのか、やらねばならぬことか。それとも単なるサディズム趣味か。こちらは、厳冬の中、ライフラインを絶たれて必死に生きようとしている市民があまりにも可哀そうで、見ていられない。零下では絶対に暖房は必要。彼らに暖房具はあるのか、寝具は十分あるか、冷水の中で衣服などの清潔さを保つための洗濯はできるのか。

 また、毎日顔を洗い、歯を磨くことができるのか。風呂はどうなっているのかも心配でなりません。恐らくシャワーなどはないでしょうから、湯で体を拭くくらいでしょうが、湯を沸かす道具はあるのか。拭くくらいでは十分に体の垢は取れないし、体臭は残ります。体温が保持できないと免疫力も落ちる。もろもろのことを考えるとなんとか生活面で手助けできないものかと考えてしまいます。日本では鍋料理によく使う簡易コンロは災害時にも役立つ。日本は現在、武器供与は制限されているので、そういう生活物資面で支援する必要があると思います。

 上の写真は、町田市内の公園で見た自然木のブランコ。下の方は、野毛山公園で見たアガパンサスウクライナにも一日でも早くのどかな風景が戻って欲しい。